8月から旬を迎える『梨』。みずみずしくてさっぱりとした甘さの梨は、日本を代表する果物のひとつです。毎年、梨の旬の時期を楽しみに待っている人も多いのではないでしょうか。
日本で食べられている梨には、日本梨、西洋梨、中国梨の3つがありますが、今回は『日本梨』の歴史や品種についてご紹介します。

梨は弥生時代から食されていた?

梨棗 黍に粟嗣ぎ 延ふ葛の 後も逢はむと 葵花咲く
(なしなつめ きみにあわつぎ はふくずの のちもあはむと あふひはなさく)
上の歌は、日本最古の和歌集である万葉集に記されている和歌です。この和歌に登場する、梨、棗、黍、粟は、秋に実をつける果物や穀物です。この歌からわかるように、梨は古くから秋の果物として人々に親しまれてきました。
さらに、日本書紀には凶作や飢饉が起こった時のために梨を栽培することが奨励されていたという記述も残されています。梨が遥か昔から日本の生活に根付いていたことがうかがえますね。
それでは、日本ではいつから梨が食されていたのでしょうか。
実は、梨はさらに昔の弥生時代から食べられていたとされており、弥生時代後期の遺跡である登呂遺跡からは梨の種子が発掘されています。当時食されていた梨は『ヤマナシ』と呼ばれる野生種です。現在栽培されている品種の多くは、このヤマナシがもととなっています。
梨はこんなにも昔から日本で食されていたんですね。

※画像はイメージです
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ゴミ捨て場から生まれた品種?

私たちが現在食しているような、みずみずしくて甘い品種が登場したのは、明治時代に入ってからのこと。今では様々な品種の梨がありますが、中にはとても変わった誕生の仕方をしたものがあります。それは、『二十世紀』梨。なんとこの梨は、ゴミ捨て場から生まれたんだとか!
明治21年、この品種の生みの親である松戸覚之助は、民家のゴミ捨て場に梨の木が生えているのを見つけます。当時松戸覚之助はわずか13歳。彼はその木を自分の農園に持ち帰り、10年もの時間をかけて改良を重ね、現在の二十世紀梨のもとができたのです。この品種は当初『新大白』と名付けられ、当時発刊されていた雑誌で大絶賛されます。そして後に、二十世紀の代表種となることを願って『二十世紀』という名前がつけられることになったのです。
現在二十世紀梨は、その願いの通り日本の代表種として多くの人々に愛されています。あんなに美味しい梨が、まさかゴミ捨て場から生まれていたとは驚きですよね。

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二十世紀梨の故郷で梨狩りを楽しもう!

二十世紀梨が生まれた地である千葉県松戸市にはたくさんの梨農園があり、8月中旬頃から梨狩りが行われています。
今回ご紹介するのは、『高代園』。この農園ではたくさんの品種が栽培されており、時期によって違う品種を採ることができます。梨好きの方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
■高代園(事前の予約が必要になります)
開園期間:8月20日(火)~10月上旬(10:00~17:00)
品種時期:
<幸水>8月中旬~下旬、
<豊水>8月下旬~9月上・中旬、
<菊水・新星・二十世紀>9月上旬~中旬、
<新高>9月中旬~10月上旬
価格:650円/1kg
場所:千葉県松戸市高塚新田532
公式HP:http://www.takadai.ne.jp/jiki/jiki.html
(※天候などによって、開催時期が変更されたり、臨時休園となる場合があります。事前にHP等でご確認ください。)

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<参考参照>
丸果石川中央青果(株)
蓮田市
公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会
奈良県へようこそ