令和の時代が幕を開けて1週間が過ぎ、長かったような短かったような10連休も終わり、日常が戻ってきました。
5月8日は「世界赤十字デー」。第1回ノーベル平和賞を受賞した、赤十字の創設者であるアンリー・デュナンの誕生日です。「平和」と「幸福」は、いつの時代も人々が望んできたもの。一方で、ともすると瞬く間に脅かされるものでもあります。幸福も、平和な日常あってこそ。
5月は赤十字運動月間。赤十字の理念や活動を知る絶好の機会です。国内の歴史的建造物やランドマーク施設を赤く照らし出す、「レッドライトアッププロジェクト」などのイベントも開催されます。

戦時の「国境を越えた救援の精神」から誕生

赤十字は、スイス人実業家のアンリー・デュナン(1828年5月8日~1910年10月30日)が提唱した「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」ことを目的として1863年に発足しました。
きっかけは、彼が1859年6月にイタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノで目にした悲惨な光景でした。4万人ともいわれるおびただしい数の死傷者が、治療も受けられずに打ち捨てられていたのです。デュナンは、町の人々や通りがかりの旅人たちと協力して負傷者の救護を行います。
彼はこの体験を『ソルフェリーノの思い出』として著し、1862年に自費出版しました。国際的な救護団体の必要性を訴えたデュナンの主張は、ヨーロッパ各国で大きな反響を呼びます。翌年には赤十字国際委員会の前身である5人委員会が発足、1864年にジュネーブ条約が調印され、国際赤十字組織が誕生しました。1876年には「赤十字国際委員会(ICRC、本部:スイス・ジュネーブ)」へと発展、現在は世界191の国と地域に広がるネットワークを形成して活動を行っています。

実は3種類ある「赤十字マーク」。法のもとに守られた重要な意味とは

赤十字のシンボルマークは、創設者であるデュナンの祖国スイスに敬意を表して、スイス国旗の配色を逆にしたものから考案されました。
赤十字以外にも、赤い三日月のマークとひし形のマークがあり、全部で3つのシンボルマークが存在することをご存知でしょうか。十字のマークがキリスト教を連想させるため、主にイスラム教圏では三日月のマーク(赤新月)を用いています。2005年には、いかなる意味合いも排した中立を意味するひし形のマークが新たに採択されました。
赤十字のマークは「病院や医療を表すマーク」と思われがちですが、一般の病院や医薬品などに使用することは禁止されています。赤十字社及び法律等によって認められている組織のみが使用できるのです。赤十字マークを掲げている病院や人などには、いかなることがあっても攻撃を加えてはならないと、国際法や国内法に基いて定められています。戦争や紛争で傷ついた人々と、負傷者を救援する医師や看護師、施設などを保護するために掲げられるのが赤十字マークなのですね。

西南戦争までさかのぼる!日本における赤十字の思想

1877年(明治10年)に設立された博愛社を前身とする日本赤十字社。博愛社は同年2月に発生した西南戦争に際して、元老院議官だった佐野常民(さの つねたみ、1823年2月8日〜1902年12月7日)と大給恒(おぎゅう ゆずる、1839年11月13日〜1910年1月6日)が政府に対して救護団体の設立を願い出たことから発足しました。明治政府軍と薩摩軍による戦闘で、多数の負傷者が手当てもされず放置されていた惨状に、ヨーロッパにある赤十字と同様の救護団体を作ろうと思い立ったのです。
1886年の日本政府のジュネーブ条約加入により、翌年1887年、博愛社から日本赤十字社と改称しました。西南戦争ではじめての救護活動を行って以来140年、医療や災害救護活動、地域に密着した福祉活動、看護師の育成や青少年ボランティアの実施など、国内外の幅広い分野で活動しています。

1965年、第20回赤十字国際会議で「赤十字基本7原則」が決議されました。その筆頭には、「人間の生命は尊重されなければならないし、苦しんでいる者は、敵味方の別なく救われなければならない」という「人道」があります。世界では今もテロや紛争が絶えず、自然災害が多発した平成の日本。赤十字の活動を知ることは、人道の歴史を学び、行動を考えるきっかけになりそうです。

参考サイト
日本赤十字社