9月28日より、秋分の次候「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」となりました。蟄という字自体で「巣篭もりする虫」を意味し、朝晩の冷え込みに虫たちが冬篭りのための穴にこもり入り口をふさぐ、という意味。でも実際には冬越しをする虫たちがやヘビなどの変温動物が冬篭りをはじめるのはもう少し先のことですね。ところで、「虫」というと今は昆虫類と陸生の節足動物(クモやムカデ、ダンゴムシなど)を指しますが、かつてはヘビやカエルなども含まれ、さらに「蟲」と書くと植物以外のすべての生き物のことでした。

「虫」と「蟲」、どちらももとはムシではなかった

日本では、かつては「むし」は「虫」ではなく「蟲」と書き、昆虫や陸生節足動物に加えてトカゲやヘビ、カエル、コウモリなど、じめじめした場所に出現する得体の知れない小さな生き物全般を指しました。こうした大和言葉としての概念をあらわす「むし」が、「蟲」という文字にあてられました。
しかし中国では「虫」と「蟲」とは元来意味が違いました。
「蟲」のほうが古い文字で、「虫」はその略字体と思われるむきがありますが実は「虫」のほうが古い文字。漢字の原型である甲骨文字や、殷の時代の青銅器の金文にも「虫」は既に登場します。毒蛇のマムシをかたどった象形文字で、つまり本来はヘビのこと、後に爬虫類全般を意味するようになりました。ちなみに爬虫類の「爬」とは「鉤爪で這いずり回るさまを表す言葉で、ヘビに似て、手足のある蜥蜴(とかげ)やヤモリなどのことをあらわす文字です。
一方、「蟲」の文字は周時代の末期の戦国時代(BC5~3世紀)にはじめてあらわれます。音は「チュウ(chóng)」。宋時代の「集韻」という辞書(宋代、1039年)には、「裸毛羽鱗介之總稱」と説明されています。裸蟲、毛蟲、羽蟲、鱗蟲、介(よろい)蟲、すべてを「蟲」という、という意味。蟲の字の音と意味とが、現代の虫の字につながっているのです。
虫と蟲の意味が別だった時代、次第に個別の生物を表す文字が出来ていきます。それらの部首などに「蟲」を付けるとき、蟲の字の画数、煩雑さが省略されて「虫」に置き換えられました。虫偏は、本来「蟲」の意味です。

五行思想に見る「五蟲」

日本では、明治時代以降、中国の本草学(ほんぞうがく)に基づく自然観から、西洋科学に基づく生物学が取り入れられ、「むし」の概念も変わります。昆虫と(ちなみのこの「昆」が六足の昆虫類の意です)、昆虫とほぼ同サイズの陸生節足動物に限定されました。
しかしそれまでは「蟲」といえば、すべての生物、生きとし生けるものをあらわす文字・概念でした。これは五行思想に基づき「五蟲」にふりわけられました。
介蟲は、殻・甲羅をもつ生物で、貝や亀、カニなど。五行では「水」。
毛蟲は今の毛虫ではなく、獣(哺乳類)のこと。五行では「金」。
羽蟲は羽をもつ生物全般、鳥や飛行昆虫。五行では「火」。
鱗蟲はウロコをまとう生物全般で、魚や爬虫類。五行では「木」とされます。
裸蟲は「鱗も毛もなく」つまり「木気でも金気でもなく」とされる、皮膚が「裸」の生物、カエルやナメクジ、ミミズなど。五行では「土」。
ちなみに、この分類で言うと所属が分からない生物もありますよね。たとえば当の中国に生息するアルマジロに似た珍獣「センザンコウ」。言うまでもなく哺乳類ですが、「鱗虫」とされます。コウモリも哺乳類ですが、翼を持つため「羽虫」。
そして人間も、髪の毛や体毛がありますけどなんと「裸虫」に属します。陰陽五行説に基づけば、人間はカエルやナメクジと同じ、というわけです。これは、生物を系統樹で分けるのではなく、外に現れた「かたち」から性質を抽出して分類する考え方で、漢方医学にもそうした自然観は反映されています。

実在の生き物だけではない・自然現象を起こす存在も「虫」だった

人間には不可解な自然現象も空想上の「虫」が起こしているとされました。虹はかつては虹霓(こうげい)といわれ、雌雄一対の竜の一種と考えられていました。
海辺や砂漠に現れる幻の現象「蜃気楼」は、「蜃」という生き物が吐き出す呼気によって作り出された楼閣だとされました。「蜃」は、巨大なハマグリとも、あるいは龍のような生物ともいわれています。蜃の字の「辰」は2枚貝が殻から足を出している象形を指しますから、海の彼方に現れる楼閣という意味ではハマグリのほうがしっくりきますね。ただ一方で「辰」は龍の意味もありますから、龍という聖獣のイメージの成り立ちには、意外なことに海の二枚貝も関係していたのかもしれませんね。
「孤独」という言葉の「独」にもつくりに虫がつきます。元の字は「「獨」で、この「蜀」は、一説ではオスしかいない伝説上の生き物だとも、また蛾の幼虫の毛虫のことともいわれます。毛虫に寄り添う一枚の葉のようにヒツジの群れの番をする犬の姿から、独りであることを獨とあらわしたしたといわれます。
今の我々も台風に名前をつけたり「目」といったり、何かと自然現象を生き物のように扱う場合もあります。それを考えれば、昔の人も考えも、それほどとっぴなものではないですよね。

蜃気楼
蜃気楼

まだまだ虫たちは活動期!野山にお出かけの際にはご注意を

さて、9月下旬から10月上旬は、秋の陽光の中、虫たちはむしろ活発な時期。ワレモコウやオミナエシ、ヨメナやキクイモ、サラシナショウマなどの秋の花も、集まる虫たちでにぎやかです。
特にミツバチは冬越しの準備に忙しい10~11月ごろには気がたって攻撃的になります。また、スズメバチ類も初秋ほどではないにせよ、まだまだ活動期で、ハイキングなどでの被害に油断が出来ない時期です。当然ヤブ蚊もむしろ夏より元気。
おなかが膨らんだカマキリが産卵場所を探してうろつき、稲刈りを終えた田のあぜではバッタや蝶たちの交尾が盛んです。
また、スズメガの幼虫であるイモムシたちが育ちきり、サナギになる前に盛んに食事のためにうろつくのもこの時期。
ヘビも9月上旬に孵化した幼いヘビや、冬眠前で日なたに出てくる大きな青大将に出くわしやすいでしょう。

この世の森羅万象が蟲と呼ばれていたと言っても過言ではない唐代に作られた宣明暦。「蟄虫坏戸」も、もしかしたら「裸虫」である私たち人間に、「そろそろ冬支度をせえよ」という意味合いがあったのかもしれませんね。