ここ数日少し肌寒い日が続くようですが、本日から七十二候の第八候「桃始笑(ももはじめてさく)」を迎えます。もうまもなくやってくる、桃の花が笑うように咲く、のどかで光に満ちた春。4月になれば甲州盆地で、5月にかけては信州の花桃街道で、あたり一面が桃色に染まる桃源郷のような風景が広がります。

花かんざしのように咲く、可憐で愛らしい「しだれ桃」の思い出

梅が終わり、庭先では沈丁花が香りほのかに咲き出しました。今年は開花が早いといわれている桜までの間、しばし目を楽しませてくれる花が「桃」の花です。
本日3月10日から15日までは、七十二候の第八候「桃始笑(ももはじめてさく)」。九州あたりではすでに桃の花の開花を迎えているかと思われますが、関東ではまだもう少し先のこと。桜よりも少し前に咲くことも多いのですが、桜の後に開花する地域もあります。
桃の花といえば、だいぶ以前のことですが、近所の家にとても枝ぶりのいい「しだれ桃」の木がありました。
春ともなれば毎年、優美に垂れた枝にたくさんの花が咲きほころび、まるで舞子さんの髪を彩る花かんざしのような可憐な美しさは、息を呑むほど。塀越しにこの家の見事な桃の花を眺めることが、密かな春の愉しみでもありました。いつも縁側には、(おそらくこの人が丹精をこめて、この木を慈しみ守っていたのであろうと思われる)老人が日がな座り、庭に咲く桃の花を誇らしげに、優しく見つめていたものでした。
けれどもある年のこと。突然その家は取り壊され更地となってしまい、あの桃の木も消え去ってしまいました。
都会ではよくあることですが、あの老人は亡くなってしまい、家を維持することが叶わなくなったのでしょうか。
そして、あの桃の木はどこへ…。
どうか切り倒されることなく、どこかの土地で根付き、また春に花を咲かせてくれていればいいのに。そんなことを願わずにはいられないほど、ほほえむように咲いていた桃の花の美しさ、愛らしさは、今でも心の中に鮮やかな花景として刻まれています。

春の苑(その)紅(くれない)匂ふ桃の花 下照る道に出で立つ乙女

「万葉集」巻第十九にあるこの和歌は、かの大伴家持が桃の花の美しさを詠んだもの。梅や桜とはまた異なる風情で、ぱっと明るく春の光の中で咲く桃の花を、若い女性の美しさに重ねているのでしょう。
桃は梅と同じく、中国大陸から渡来した花木。その中国で生まれたのが「桃源郷」の伝説です。桃源郷は、陶淵明も「桃花源記」に描いた、桃花の香り漂う俗世を離れた平和な理想の地。
そんな桃の花がいっせいに咲くことで桃源郷とも言われるエリアが、桃の生産地としても名高い甲府盆地です。毎年4月上旬、桃の木が密集する一宮周辺を中心に咲き誇る桃の花。遥か彼方まで見渡す限り、青空の下、桃色の海が広がるのだそうです。
中国では仙果と呼ばれ、日本でもイザナギノミコトを守った霊力が宿る果実と古事記に記される「桃」。
花は美しく、実はおいしい桃や李(すもも)の木があるところには、人が自然と集まり道ができるように、徳のある人のもとには自然と人が慕い人が寄ってくる…史記に記された「桃李(とうり)」という言葉も、ふと思い起こされます。

信州には1万本の「花桃」が笑う桃源郷が。4月~5月にかけ満開となる「花桃街道」「はなももの里」

ちなみに桃の節句でお雛さまとともに飾った桃は、花の鑑賞を目的とした「花桃」と呼ばれる品種。江戸時代に多く作出され、紅、白、八重咲き、そして紅白に咲き分ける「源平」など、20種以上もの園芸品種が知られています。
そんな花桃が、4月半ばから5月にかけて、ひときわ華やかに咲く桃源郷が、長野県の南木曽から月川・昼神温泉あたりに出現します。
この地で、1本の木から赤・白・ピンクの三色に咲き分ける花桃は、福沢諭吉の娘婿(その名も)福沢桃介が、ドイツのミュンヘンで購入し持ち帰った、3本の苗が祖。電力会社社長であった桃介が、大正11年、木曽の発電所の庭に植えたのが始まりと言われています。
そんな3本の苗から、今や1万本となった花桃の白~ピンク~紅のグラデーションが、里山をはんなり、ほんのり染め上げる風景は壮観。伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号線は「花桃街道」と呼ばれ、飯田IC周辺から、水引の里、天竜峡、伊那谷道中、昼神温泉や月川温泉のある阿智村、清内路を通り南木曽町までの街道沿いに、夢のような花の風景が待っています。
開花中、昼神温泉では4月2日(土)~4月17日(日)、月川温泉では4月22日(金)~5月8日(日)まで「花桃まつり」が開催されるとのことですので、桃の花見に出掛けてみるのも素敵な春の一日になることでしょう。

――1本でも、1万本でも、笑うように咲く花の下に集えば、誰もがその愛らしさに笑顔にならずにはいられない…見る者の心をほのぼのと浮き立たせる桃の花が、もうすぐ満開となる時節がやってくるのです。