秋から初冬へ── 時の移り変わりや風景をうつし、心の慰めとなる11月・晩秋の詩歌 〈tenki.jp〉|AERA dot. (アエラドット)

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秋から初冬へ── 時の移り変わりや風景をうつし、心の慰めとなる11月・晩秋の詩歌

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奈良・大仏池のほとり。紅葉のなかの秋鹿たち

奈良・大仏池のほとり。紅葉のなかの秋鹿たち

〈いちめんにすすき光れる原にゐて風に消さるる言葉重ねむ〉

〈いちめんにすすき光れる原にゐて風に消さるる言葉重ねむ〉

〈黄葉を踏む明るさが靴底に〉

〈黄葉を踏む明るさが靴底に〉

日曜日に雪マークが札幌についたと思ったら、昨日今日と太平洋側では晴れ間が広がり、一部では夏日のような陽気に。
とはいえ、おもいのほか季節は早足で、今週末から冬らしくなるそう。寒い季節の到来です。
気温低下に伴い、さびしさが募る晩秋……。
そんな季節に詠まれた詩歌は、なんということもない日常の光景であっても、そこにもの哀しさが漂っています。秋が薫り立つ秀歌、ご紹介しましょう。

隣は何をする人ぞ──言葉が少なくなる秋

秋が深まってくると、日中は暑いくらいの陽気でも夕方を過ぎると、急に気温が下がります。
季語では「夜寒」などといいます。
〈鯛の骨畳に拾ふ夜寒かな〉室生犀星
〈机見れば木目波立つ夜寒かな〉富田木歩
なんということもない日常の光景ですが、小さいけれど強いリアリティがあって、俳句的な季節の捉え方です。
冬ももうすぐです。「冬隣」という季語もあります。
〈押入の奥にさす日や冬隣〉草間時彦
〈秋はいぬ風に木の葉は散り果てて山さびしかる冬は来にけり〉源実朝
晩秋というと、次の句がよく知られているでしょう。なぜか晩秋は言葉が少なくなってゆくもののようです。
〈秋深し隣は何をする人ぞ〉芭蕉
〈彼一語我一語秋深みかも〉高浜虚子
〈秋風や書かねば言葉消えやすし〉野見山朱鳥
〈いちめんにすすき光れる原にゐて風に消さるる言葉重ねむ〉藤井常世

別れ、恋しさを歌った秋の詩歌

その一方でこんな恋の言葉もあります。
〈たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか〉河野裕子
〈日の光金糸雀(カナリヤ)のごとく顫(ふる)ふとき硝子(ガラス)に凭(よ)れば人のこひしき〉北原白秋
〈男行くわれ捨てて行く巴里(パリ)へ行く悲しむ如くかなしまぬ如く〉与謝野晶子
最後の句は、明治44(1911)年11月、夫・与謝野鉄幹が単身パリに行くときに与謝野晶子が作った別れの歌です。

秋のオーケストラ

秋の見ものといえば紅葉ですね。
平安の昔から紅葉を読んだ詩歌は無数にあります。
〈奥山に紅葉踏み分けなく鹿の声聞くときぞ秋は悲しき〉よみ人知らず
〈おり立ちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く〉伊藤左千夫
〈かざす手のうら透き通るもみぢかな〉大江丸
〈吾が影を踏めばつめたし草紅葉〉角川源義
〈考へることやめし樹よ紅葉して〉中尾寿美子
なかでもイチョウの紅葉は秋の終わりを彩る、晩秋の寂しげな風景の中にあって、まるで壮大な交響曲の終楽章のオーケストラのような響きがします。
イチョウの落葉には「黄葉」「黄落」という季語もあります。
〈画展よりつづく光の銀杏の黄〉渡辺佳子
〈黄葉を踏む明るさが靴底に〉内藤吐天
センチメンタルな気分になりがちの秋の暮。
そんな季節こそ詩歌は、時の移り変わりや風景をうつして心の慰めとなります。
── 俳句を詠まずとも、みなさんは晩秋の景色のなかにふと佇んだ刹那、どんな思いを抱かれるのでしょう。


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