日本の企業の多くは、自社のウェブサイトを持っている。企業に限らず、さまざまなWebサイトがある。そのウェブサイトだが、日本国内にどれほどあるのだろうか。まさしく、「星の数」だろう。

 インターネット統計サイト「インターネット・ライブ・スタッツ(Internet Live Stats)」のリアルタイム統計によれば、2014年9月16日に世界のウェブサイト数が10億を突破したそうである。そして、その数は増え続けている。

 日本国内に限った数をつかむのがなかなか困難だが、ウェブサイトを設けるうえで必須となるのが「ドメイン名」、インターネット上の住所のようなものだ。個々のコンピューターを識別する名称の一部でもあり、世界で一元管理されるため、決して重複が起こらないとされている。

 そこで、そのドメイン名を数えたデータを紹介する。日本レジストリサービス(JPRS)のデータでは、2015年2月1日現在で138万7568に上っている。Windows95が出た年である1995年の1月1日にはわずか2206、今世紀が始まった01年1月1日でも23万4294に過ぎなかったことを思えば、うなぎ上りに上昇していると言える。

 そんな日本国内のウェブサイトだが、第一号はどこで生まれたのだろか? 茨城県つくば市を訪れると、「大学共同利用機関法人・高エネルギー加速器研究機構」がある。1992年9月30日、当時は「文部省高エネルギー物理学研究所(KEK)」といったこの場所で、当時、計算科学センターに所属していた森田洋平博士の手により日本初のウェブサイトが立ち上げられ、世界中にホームページが発信されたのである。このとき登録されていたワールド・ワイド・ウェブ(WWW)サーバーは、まだ世界中に10数台ぐらいしかなかったという。

 先駆者の森田博士にしても、「WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)」という言葉を前年の1991年に初めて知ったということだ。アメリカ・ダラスで開かれた高エネルギー実験のソフトウエア担当者の会議でのこと。博士はKEKに帰ってすぐさま同僚に報告したものの、KEKにWWWを導入することは思いつかなかった。

 翌92年、今度は渡仏した際に、WWWの創始者、ティム・バーナーズ=リー(Tim Berners-Lee)博士と出会い、「情報はネットワーク上でみんなと共有して、はじめて価値が生まれる。WWWはハイパーテキストのリンクで世界中の情報をお互いに結び付けることを可能にする。KEKもぜひWWWサーバーを立ち上げてほしい」と頼まれたことがきっかけとなり、Webサイト立ち上げに奔走したそうである。

 そう。日本のWebサイト生誕の地は、ビッドバレーと呼ばれた渋谷でも、日本商業の中心地・日本橋でもなく、茨城県であったのだ。