『永遠の夏2012~50周年記念ツアー』ザ・ビーチ・ボーイズ
『永遠の夏2012~50周年記念ツアー』ザ・ビーチ・ボーイズ
『Good Vibrations: Thirty Years Of The Beach Boys』The Beach Boys
『Good Vibrations: Thirty Years Of The Beach Boys』The Beach Boys
『Rolling Stone: The Photographs』 ※文中で紹介した写真が掲載されています
『Rolling Stone: The Photographs』 ※文中で紹介した写真が掲載されています

 ビーチ・ボーイズが結成されたのは、1961年。2014年の今でも続いている。息の長いバンドだ。
 正直言ってわたしがビーチ・ボーイズをきちんと聴くようになったのは、大人になってからだった。学生のころからロックの洗礼を受け、少ない小遣いをやりくりしてレコードを買い、友達と貸したりしあって、少しでも多くのアルバムを聴きたいと思っていたが、その中にビーチ・ボーイズは入ってこなかった。わたしの周囲には、誰一人としてビーチ・ボーイズを持っているものがいなかったのだ。

 ビートルズは人気があって、兄貴が東京に行ってしまったという友人のところに行けば、ほとんどのビートルズのアルバムを聴くことができた。
 ローリング・ストーンズを聴いている友人は少なかったが、自分で買って聴いた。『ギミー・シェルター』というタイトルの、ベスト盤のような編集もののアルバムが最初だった。映画の『ギミー・シェルター』と関連しているのかとも思ったが、まったく関係なく、A面がヒット曲、B面がライヴという変則的な構成だった。
 レッド・ツェッペリンもキング・クリムゾンもピンク・フロイドもサンタナも、とにかくたくさんの音楽を聴きたいと願い、自分の知らない、あるいはラジオで一度聞いた曲、音楽雑誌で読んだアルバムを実際に聴いてみたくて、それらを持っている人がいるという噂を聞いては、その人を訪ねて聴かせてもらっていた。

 しかし、その中にビーチ・ボーイズは入ってこなかった。
 そういえば、変わったやつだなと思った友人がいて、彼はエルビス・プレスリーが大好きだった。ちょうど映画「エルビス・オン・ステージ」が上映されたころだったと思う。今でこそ、わたしもプレスリーが大好きなどといっているが、当時は過去の遺物のように見ていた。だって、あのフリルのようなものがついた服! ロバート・プラントに比べると、なんだかな、と思っていた。ま、世間知らずだったのでしょう。

 ビーチ・ボーイズを気にしたのは、音楽雑誌で読んだ『サフーズ・アップ』のレコード評が最初だ。絶賛ではなかったが、なかなかわるくないといった感じだったように記憶している。過去のグループのように思っていたバンドだったので、意外だった。
 だからといって、そのレコードを買ったわけではない。そんな余裕はなかった。
 結局、わたしが最初に買ったビーチ・ボーイズの曲が入ったレコードは、映画『アメリカン・グラフィティ』のサウンド・トラックだった。
 ここからわたしはオールディーズの世界にはいっていくことになるのだが、まだビーチ・ボーイズはその中のひとつのバンドでしかなかった。

 そのわたしに転機が訪れた。ある中古CDショップで、ビーチ・ボーイズの『グッド・バイブレーション』という5枚組みのBOXセットを格安で手に入れたのだ。彼らのデビュー30周年を記念して出されたアルバムだ。そう、わたしはCDの時代になってビーチ・ボーイズに出会ったのだ。93年の発売なので、わたしはすでに30代後半ということになる。遅れてきたおじさんというわけだ。

 このボックス、ビーチ・ボーイズの30年の歴史を辿るのみならず、未発表の音源がたくさん入っていた。そしてわたしは『スマイル』というまぼろしのアルバムがあったことを知る。しかもこのボックスには、その断片がたくさん含まれていたのだ。
 ビーチ・ボーイズは、ただのオールディーズのポップ・グループではなかったのだと知った。それからは、もう大人買いというやつだ。2in1のCDでひとそろえ買い、関連本なども読みまくる。カラオケ・レコードも出してるんだとか、パーティーを録音したライヴ・アルバムなど、面白いことをやっているなどと知っていくことになるのだが、やはりもっとも興味をもったのは、ブライアン・ウィルソンの存在だった。

 そのころのわたしは多重録音で作りあげた音楽に興味を持っていて、そこにうまくはまってしまったのだ。
 それまでにも、フィル・スペクターに興味を持ってレコードを集めたりしていたのだから、どうしてブライアン・ウィルソンに行かなかったのか。自分でも驚いたものだ。

 フィル・スペクターについては、かんたんに紹介しておこう。
 1963年、ザ・ロネッツの《ビー・マイ・ベイビー》の大ヒットで知られる音楽プロデューサーだ。多重録音という一度録音した音の上にまた音を重ねていくという手法で、「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる分厚い音の壁のような音楽を作り出していた。
 わかりやすい例を出すなら、ビートルズの『レット・イット・ビー』に入っている《ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード》だ。この曲はポール・マッカートニーが不満を言っているが、それはポールが思っていた編曲ではなく、フィル・スペクターによるストリングスやコーラスが加えられた編曲になっていたからだ。
 しかし、2003年に『レット・イット・ビー...ネイキッド』が発売され、フィル・スペクターの編曲が入っていない《ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード》を聞くことができるようになった。興味のある方は、ぜひ聴き比べてほしい。

 フィル・スペクターは、ジョン・レノンやジョージ・ハリソンにも気に入られて、『イマジン』や『オール・シングス・マスト・パス』などもプロデュースしている。また、昨年なくなった大瀧詠一も影響を受けている。
 しかし現在は、殺人罪で服役中である。不思議な人生だ。しかし、その音楽の魅力は不滅である。

 さて、そのフィル・スペクターに影響を受けたブライアン・ウィルソンであるが、レコーディングにはまり、『ペット・サウンド』や《グッド・バイブレーション》のような傑作を創りあげるが、レコーディング作業にこだわるあまり、ビーチ・ボーイズのライヴ活動に参加しなくなってしまう。
 ここがビーチ・ボーイズの面白いところで、ブライアン・ウィルソン抜きでライヴ活動を続けたのだ。
 その後ブライアンは、まぼろしのアルバム『スマイル』を完成させることなく、引きこもり生活に入っていく。酒とドラッグ、過食で肥満していったという。60年代後半から88年のソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』を出すまでの20年に及ぶ隠遁生活だった。

 この間でわたしの記憶に残っているのは、76年の雑誌ローリング・ストーンに発表されたアニー・リーボヴィッツの写真だ。ブルーのガウンを着て、サーフボードを持って浜辺に立つブライアン・ウィルソンの写真がある。素晴らしい写真だ。
 隠遁生活者でありながら、なにか不思議な力を感じさせる写真だ。ちなみに、アニー・リーボヴィッツは女流カメラマンで、ローリング・ストーン誌で活躍した。一番有名な写真は、ジョン・レノンが射殺された日に撮影された、オノ・ヨーコに全裸でしがみついているジョン・レノンとヨーコの写真ではないだろうか。この写真を見ると、ジョンが、死にたくない、といっているようで胸が詰まる。

 ブライアン・ウィルソン不在の間も、ビーチ・ボーイズはライヴ活動を続け、ライヴ・バンドとしての人気を固めていく。そしてブライアンが復活したのと同じ88年、ビーチ・ボーイズは映画『カクテル』の主題歌《ココモ》を発表し、22年ぶりに全米No.1を獲得する。しかしこの曲に、ブライアン・ウィルソンは参加していない。

 今回の来日でも、残念ながらブライアンはメンバーに入っていない。しかし、ブライアンなしのビーチ・ボーイズも、ライヴでの実績は高い。
 99年、ブライアン・ウィルソンがソロではじめて来日した。わたしも観にいった。ビーチ・ボーイズ時代の曲もたっぷり演奏し、たのしいライヴだったが、ブライアンはどこか視点の合わない様子で、なにか空を見つめているような雰囲気だったのを覚えている。
 今度は、ビーチ・ボーイズに会いに行かなくては。[次回2月26日(水)更新予定]

■公演情報は、こちら
東京
http://www.billboard-live.com/pg/shop/index.php?mode=detail1&event=8879&shop=1
大阪
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=7154&shop=2