1995年春、ジム・ジャームッシュ監督作品『デッド・マン』の音楽を、深く入り込む形で手がけたニール・ヤングは、8月にはパール・ジャムとヨーロッパに渡り、約2週間のツアーを行なっている(エディ・ヴェダーは諸事情で参加しなかった)。ローレル・キャニオンで偶然に導かれるようにして出会ったあと、もっとも信頼できる音楽仲間、そして親友として、ニールの作品のほとんどに関わってきたデイヴィッド・ブリッグスが亡くなったのは、その年11月のことだ。
翌年3月半ばから6月初旬にかけて、ニールはしばらく距離を置いていたクレイジー・ホースとともに連続公演を行なっている。いうまでもなく「ブリッグスに捧げて」ということであったわけだが、ただし会場は、ニールのランチからも近い太平洋沿いのライヴ・ミュージック・サーフ・バー。オールド・プリンストン・ランディングという、酸欠状態まで詰めても150人程度の小さなクラブだった。しかも彼らはこのとき、エコーズと名乗っている。いわゆるシークレット・ギグだ。
もちろん情報はすぐに広まり、熱心なファンが列をなしたそうだが、ともかくその、いかにもニールらしいスタイルの追悼公演をつづけながら、彼とクレイジー・ホースは新しいアルバムを完成させている。96年夏発表の『ブロークン・アロウ』だ。
冒頭から3曲は長尺の、クレイジー・ホースとでなければつくり得ないジャム風のトラックがつづく。2曲目の「ルーズ・チェンジ」は、ワン・コードのエンディングを3分以上も弾きつづけるという徹底ぶりだ。そのあとは、じっくりと聞かせるタイプの曲がつづく。灰がまかれるイメージが伝わってくる5曲目の「スキャタード」は明らかにブリッグスに捧げられたものだろう。そして最後は、オールド・プリンストン・ランディングでのライヴから、ブートレッグ的な音質の「ベイビー・ホワット・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ドゥ」(ジミー・リード)が収められている。
正直なところ、かなり中途半端な印象の作品なのだが、ニールの歩みを語る際には欠かすことのできない一枚といえるだろう。あのときの彼には、どのような形にせよ、ブリッグスが去ったあとの世界を描く必要があったのだ。[次回1/6(月)更新予定]