第17回 リンダ・ロンシュタットがはたした役割 |AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

第17回 リンダ・ロンシュタットがはたした役割

文・大友博

プロフィール   バックナンバー   ミュージック・ストリート トップへ

このエントリーをはてなブックマークに追加

 70年代のロサンゼルス音楽にリンダ・ロンシュタットがはたした役割はきわめて大きい。サンタモニカ・ブールヴァードに面したクラブ、トルヴァドゥールでのグレン・フライとドン・ヘンリーとの出会いがイーグルス結成につながった話はすでに紹介したが、もちろん、それだけではない。

 リンダ・マリア・ロンシュタットは、1946年7月15日、ビートルズの歌詞でその名を知ったという人が多いかもしれないアリゾナ州の州都チューソンで生まれた。地域ではよく知られた名門一家だったようだが、その家族の影響もあって早くから音楽に目覚めた彼女は、アリゾナ州立大学を短期間でドロップアウトしたあと、ロサンゼルスで本格的な活動をスタートさせている。最初のステップは、フォーク/カントリー色を強く打ち出したトリオ、ザ・ストーン・ポニーズ。オルタナティヴ・カントリーの先駆者とも呼べるこのバンドのリード・シンガーとして活躍し、個性的なヴォーカルとキュートなルックスで次第にその注目度を高めていった彼女は、69年に大手キャピトルからソロ・デビューをはたしている。

 もともとリンダはシンガー・ソングライター的な方向性を目指していなかったようで、この時点から彼女のアルバムでは、時代を代表するアーティストたちの作品が取り上げられるようになっていた。ただし、ただ単に与えられた曲を歌っていたわけではなく、あるいはまた、ヒット狙いのカヴァーなどではなく、リンダの意思で選んだ曲を、あくまでも彼女らしく歌っている、という印象が強かった。アメリカのメディアではInterpretive singer、つまり、きちんと受け止め、解釈して歌う人などと紹介されることも多かったようで、まったくそのとおりだと僕も思う。

 当初は、ボブ・ディランやニール・ヤングなどの、ある程度は知られた曲が中心だったが、すでに紹介したアサイラム移籍第一弾『ドント・クライ・ナウ』(73年)ではJ.D.サウザーの3曲と、イーグルスの《デスペラード》を取り上げ、新しい一歩を踏み出したばかりの音楽仲間たちを強力にバックアップしたのだった。ドン・ヘンリーも、彼女の歌った《デスペラード》がどれほど大きな意味を持つものだったかを、さまざまな場で語ってきている。

 76年発表の『ヘイスン・ダウン・ザ・ウィンド』はそういった方向性をさらに強く打ち出したもの。タイトル・トラックは、ジャクソン・ブラウンのプロデュースでアサイラムからメジャー・デビューをはたしたばかりのウォーレン・ズィヴォンの曲で、また、この時点ではほぼ無名の存在だったカーラ・ボノフの作品が《ルーズ・アゲイン》など3曲も取り上げられていたのだ。これがきっかけでカーラは注目の存在となり、翌77年、ソロ・デビューをはたしている。

 リンダの精力的な音楽活動とその成功は、結果的に、彼女を支えるミュージシャンたちへの注目もアップさせることとなった。その代表格が、マルチ・プレイヤーのアンドリュー・ゴールド(カーラとは60年代末からの音楽仲間で、彼女をリンダに紹介したのは彼だろう)。76年発表のセカンド・アルバム『ホワッツ・ロング・ヴィズ・ディス・ピクチャー?』からシングル・カットされた《ロンリー・ボーイ》は全米7位の大ヒットを記録している。 [次回5/11(水)更新予定]


(更新 2016.4.27 )


バックナンバー   コラム一覧   ミュージック・ストリート トップへ

このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)

 1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

あわせて読みたい あわせて読みたい