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 多くのジャズ・ミュージシャンを輩出しているボストンのバークリー音楽院に、日本人として初めて留学したのが穐吉さんだった。

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 その後、日本の音楽界で活躍する渡辺貞夫、佐藤雅彦らが続いて、今ではジャズ界以外にも同校の卒業生名簿に多くの日本人名を見つけるようになった。

 26才の穐吉さんが渡米した当時は、渡航の制限も厳しく、1ドルが360円しかも100ドルしか持ち出しが許されない。人種的な偏見や治安の問題、情報は乏しく身寄りもなく知人も少ない。そんな時代の中で単身渡米を決意したのは、並大抵のことではなかったはずだ。

『アメリカ唯一の文化、ジャズに携わることになった黄色い私の長い険しい道を想像して「ロング・イエロー・ロード」と言う曲を書き下ろした……』

『人種の坩堝だと思っていたアメリカが、ところがそうではなく、大多数は遵守別に自分たちを守って暮らしている事に気付いた……』と自伝「ジャズと生きる」に書かれている。

「孤軍」「ミナマタ」「花魁譚」「すみ絵」など日本にまつわる曲名を見ると、見知らぬ遠い国にいながら穐吉さんは日本人としてのアイデンティティを守って暮らすばかりでなく、社会的テーマを挙げて積極的に立ち向かっていくエネルギーの持ち主だと感服させられる。

 グラミーノミネート11回、紫綬褒章叙勲(1997年)、日本人初のJAZZ殿堂入り(1999年)、他にも多くの芸術文化賞を受賞されている偉大なジャズ・マスターは、時に(ぼくのカメラの前では)はにかみ屋の主婦であり、母であり、そしてニューヨークのご自宅に巨大なワインセラーをお持ちのワイン・コレクターでもある。

 2006年の「JAZZ人生60年 渡米50年記念コンサート」には行けなかったけど、ぼくが最初に穐吉さんを撮らせていただいたのは1976年の1月。ビッグバンドを率いた初の日本公演の時。そして最新はつい先日、夫君ルー・タバキンさんとのデュオでのステージ…… だから…… う~ん、とても長いお付き合いになりましたね。これからもお元気で益々ご活躍下さい。

穐吉敏子:Toshiko Akiyoshi (allmusic.comへリンクします)
→ジャズピアニスト、作曲家、編曲家/1929年12月12日 ~