
「性被害は虚偽」として元草津町議を在宅起訴 本人の言葉で何が語られるのかを注視したい
2020年12月、会見する新井祥子・元草津町議
作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、元草津町議の在宅起訴ついて。
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10月31日、群馬県草津町の元町議・新井祥子さんが、草津町長に対する名誉毀損と性被害の虚偽告訴の罪で在宅起訴された。裁判で真実が明らかになることを願っているが、SNS上では、起訴=有罪とばかりに、新井さんを責め立てる声が大きくなりつつある。
草津町で起きたことの経緯を、改めて記しておこう。
2019年11月、新井町議(当時)が、町長から性被害を受けたと電子書籍(飯塚玲児著『草津温泉 漆黒の闇5』)で告発した。町長は新井氏と著者を名誉毀損で刑事と民事で訴え、自身の潔白を主張した。また同年12月2日の町議会は、新井氏を「議員としての品位を著しく汚した」として除名処分している。一方、新井氏は除名処分を不服とし群馬県知事に申し立て、その結果、20年8月に除名処分は取り消されるのだが、今度は議長らが率先し、新井氏のリコールを問う住民投票を求める署名運動をはじめた。草津町は有権者約5000人、その3分の1以上が署名したため住民投票が行われ、新井氏は議席を失った。その後、新井氏は21年12月に町長を強制わいせつ容疑で刑事告訴したが、こちらは不起訴になった。来年1月には、町長がおこした名誉毀損の民事裁判で、新井氏自身が法廷に立つ。その矢先の在宅起訴だった。
私が新井氏と初めて連絡を取ったのは、リコール投票を間近に控えた20年11月だ。日本を代表する温泉町の「スキャンダル」は、テレビの情報番組でも取りあげられていたので知ってはいたが、遠巻きに眺めているにすぎなかった。インタビューに答える新井氏が、「私はおばさんだし」と自虐的に語ったり、性被害を「肉体関係」と表していたり、また、新井氏の告発のきっかけとなった電子書籍は、性的スキャンダルに重点を置いた内容だったこともあり、私自身が関わることではないと考えていた。
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表
ところがリコール運動が激しさを増すにつれ、新井氏の置かれている現状をSNSで見聞きすることが増えてきた。発信者の多くは女性政治家たちだった。性被害の声をあげた女性議員が数の力でリコールに追いやられている現実を、「これは現代の魔女狩りだ」という危機感をもって、女性政治家たちが語っていた。そこで初めてネットで公開されている草津町議会を視聴し、そこで繰り広げられていたことに衝撃を受けたのだった。
国会は傍聴したことはあっても、自分の住む地域の議会も傍聴したことは、それまで一度もなかったが、そこは国会以上に男しかいない場所であった。職員を含めて男性ばかりの議場で、激しいヤジが飛び、議員らが新井氏を責め立てる議会には衝撃を受けた。事実については誰も判断できる立場ではないはずだが、一方的に新井氏を「うそつき」と決めつけ、議員らが率先してリコール運動をするのかと驚いた。
そこで知人を通して新井氏に連絡を取り、実際に草津町議会の傍聴をすることにしたのだった。私が傍聴したのは20年の12月1日、リコール直前の議会だった。その様子はこのコラムでも記したが、傍聴席には高齢男性たちが並び、新井氏にむかって「うそつき」「(あんな女とは)犬でもしない」など激しい言葉で罵っていた。それは議会というより、新井氏が裁かれる現場のようだった。
さらにその10日後の20年12月11日、新井氏が主催者となり、草津町でフラワーデモが開催されて私も参加した。15人ほどの小さな集まりだったが、司法での決着を待たずに新井氏の訴えをうそと断定し、議員自らがリコール運動を率先していることに問題を感じるジャーナリストや性被害当事者、支援者らが集まった。草津町でデモをしたこと自体が風評被害という声もあるが、デモはこの国の人が持つ権利である。また、その際に、「#セカンドレイプの町草津」というプラカードを持っていた人たちもいたが、これは「性被害があった」ことを事実として問題にしたのではなく、性被害を訴えた女性議員に対するリコール運動や議場での激しいヤジに対する抗議であった。
今、新井氏がどのような状況にあるのかは分からない。新井氏を信じ、裁判費用の寄付などもしてきた支援者への説明はすべきだとメールはしたが、今の時点で返信はない。今はただ裁判を通して、事実が明らかになることを望んでいる。
SNSでは、支援者やこの件についての記事を書いた者への謝罪を求めるような声もあがっているが、支援者たちに謝罪を求めるのは間違いだ。支援者は被害者を選ばない。少なくとも私は、フラワーデモを通して、被害者は選ばないと決めた。たとえば伊藤詩織さんのとき、当初、私は詩織さんの闘いに関わらなかった。残酷な言い方をすれば、「詩織さんがどういう人か知らなかった」からだ。詩織さんの闘いを支えなければと思ったのは、詩織さんが声をあげた17年5月から1年以上を経た18年の秋だ。韓国の#MeToo運動などを見て「韓国ってすごいな~」と感心する一方で、詩織さんの#MeTooを遠巻きに見ている自分に嫌気が差したのだ。「被害者と加害者を同じステージにあげて、どちらが正しいのか社会が判断する」という判断をする側に自分は立つべきではないと決めた。まずは被害者の声を聞く、というところに立つ。それが性被害を語りやすくし、性暴力を根絶し、誰も加害者にさせないための一歩だと、性被害者たちの絶望の淵に立つ声が教えてくれた。
私はそのようにして、新井さんの声を聞いてきた一人である。それは新井さんの声に寄り添おうとした多くの当事者、支援者の思いでもあるだろう。今は、裁判で事実が明らかになることを期待したい。そして新井さん自身の言葉で何が語られるのかを注視したい。