三菱養和SCユースから早稲田大学スポーツ科学部に入学し、ア式蹴球部に入部。名古屋グランパスなどを経て現在FC町田ゼルビアに所属し、チームの主力選手として活躍している相馬勇紀選手。ピッチでは力強い攻めのプレーで知られる相馬選手ですが、お子さんの話になると、全く違う表情に……。そんな相馬選手に、幼少期のこと、3歳になったばかりのお子さんとの日常、子育てへのこだわりについてお伺いしました。※後編<相馬勇紀が振り返る”どん底”だったポルトガル時代 「とにかく挑戦しなきゃダメだ」と考えが切り替わったきっかけは?>に続く
【写真】相馬選手と3歳の息子さんのようすはこちら(全2枚)両親はテニス選手。それでもサッカーが一番楽しかった
――サッカーを始めたのは小学1年生のときだそうですね。
幼少期にはいろいろなスポーツをやることが運動能力の向上に繋がるという考えが両親にはあって、小学校入学前から体操や水泳、テニスを習っていました。でも小学1年生のときに友人に誘われてサッカースクールに入ったところ、サッカーが大好きになってしまったんです。
――両親がテニスプレイヤーだったそうですが、テニスは好きではなかった?
僕は一人っ子なので、僕一人に対して2人のコーチ(両親)から厳しくあれこれ言われるのがすごく嫌だったんです。サッカーなら「いや、サッカーのことは知らないでしょ」と言い返せましたから。
とはいえ、僕がサッカーを選んだら選んだで、両親は非常に熱く応援をしてくれました(笑)。
――小学1年生でサッカーを始めたころから、めきめきと頭角を現していったのでしょうか?
それはないと思います。小さいころから瞬発力やすばしっこさには優れていましたが、もともと体格のいいほうではありませんでした。体格差で苦労することが多かったですね。楽しいから続けているという感じで、プロになろうとは考えてはいませんでした。
「もうちょっとやりたいなぁ」がサッカーを続けるモチベーションに
――小学生のころ、サッカーの練習は週何回くらいされていたのですか?
だいたい週2、多いときで4回くらいです。
――意外と少ないんですね。
グラウンドの都合もあって練習量は限られていて、自主練習もあんまりやらせてもらえませんでした。
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