やたらと長いタイトル。「号泣する準備ができるまでは、決して読まないでください」という帯の惹句。よくいうわと思いながら読んでみた。瀧森古都『たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える』は放送作家を経て現在は〈主に「感動」をテーマとした小説や童話を執筆〉しているという著者の3冊目の作品だ。

 主人公の「僕」こと修二は25歳。イベント会社にパフォーマーとして登録し、ピエロの姿で、風船から動物や乗り物をつくるバルーンアートで生計を立てている。

その「僕」がショッピングモールのイベントで6歳の少女に出会った。少女のTシャツのタグの部分には赤い風船と1万円札を包んだ紙が結びつけられていた。周囲に保護者らしき大人はいない。

〈僕は、残酷だと思いつつも少女にこう言った。/「君、捨てられたんだよ」〉。彼がそう口にしたのは、自身も同じ経験をしていたからだ。〈生まれてすぐ、僕は母親に捨てられたんだ。真夜中の学校に……。/(略)その人は当時十七歳だったとか。/しかも、担任の教師に妊娠させられてしまい、誰にも相談できずに一人で僕を産み落としたらしい〉
 こうして少女の母親探しと修二の生い立ちの秘密が同時進行で語られてゆくのだが……。

 まあ、あれですね。「不幸がてんこ盛りの人生にも希望の光が待っている」という感動物語にありがちなパターンだね。

 号泣? それはしないでしょう。物語の展開が、だってみえみえだもの。母親に捨てられた青年と同じく母親に捨てられた少女が実の兄妹だった、とかさ。自殺やら何やらでやたら人が死ぬとかさ。偶然の出会いが多すぎるとかさ。

 一応手の込んだストーリーではあるけれど、ストーリーしかない感じ。もっとも明治時代の通俗小説から今般のウェブ小説まで、この種の「出生の秘密モノ」には一定の需要があるからね。最初から映像化狙いなのかもしれない。タイトルはマルティン・ルターの言葉に由来するようだが、そこで箔を付けなかった点だけは偉い。

週刊朝日 2016年4月28日号