1941年9月、呉海軍工廠で建造中の大和。手前に写るのが46センチ主砲。ひとつの砲塔に3門、計9門の主砲を装備した(大和ミュージアム提供)
1941年9月、呉海軍工廠で建造中の大和。手前に写るのが46センチ主砲。ひとつの砲塔に3門、計9門の主砲を装備した(大和ミュージアム提供)

 全長263メートル、史上最大の戦艦大和。その象徴といえる口径46センチの主砲を製造した「旋盤(せんばん)」と呼ばれる工作機械が役目を終え、兵庫県明石市のメーカーに置かれている。それを保存展示するため、広島県呉市の市立博物館「大和ミュージアム」が寄付を募ったところ、わずか1カ月で目標額の2倍、約2億円が集まった。

【戦艦大和誕生から沈没までの写真はこちら】

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「まったく予想しなかった展開ですね。北海道から沖縄県まで、ほんとうに全国から寄付をいただきました」

 大和ミュージアム学芸課の兼光賢課長は笑顔でこう語る。

 大和ミュージアムは2005年に開館。兼光さんは「開館準備中、旋盤が『きしろ』にあることを知り、寄贈を打診したんですが、当時はまだ現役でしたので断られました」と一度断念したことを語る。「きしろ」とは、兵庫県明石市にある大型機械部品の加工会社だ。

 その後、旋盤は13年に稼働を停止。昨年、きしろから博物館に寄贈の申し出があり、話が進んだという。

1938年にドイツ・ワグナー社から輸入され、呉海軍工廠の砲身工場に設置された超大型旋盤。巨大な鉄の丸棒の端を取り付けて回転させる「面盤」は直径3.2メートル。「砲身のような『長尺物』は、両端を支えただけでは真ん中がたわんでしまい、そのまま削ったのでは精度が出ない。それを防ぐため、例えば、たわんだ状態でゆっくりと品物を回して刃物を当て、帯のように削って『受け』をつくる。そこにローラーの『受け止め』を設置して下から支える」(きしろの中島千寿常務)。この「受け」をいくつか設け、「受け」と「受け」の間を加工していく(資料提供:大和ミュージアム)
1938年にドイツ・ワグナー社から輸入され、呉海軍工廠の砲身工場に設置された超大型旋盤。巨大な鉄の丸棒の端を取り付けて回転させる「面盤」は直径3.2メートル。「砲身のような『長尺物』は、両端を支えただけでは真ん中がたわんでしまい、そのまま削ったのでは精度が出ない。それを防ぐため、例えば、たわんだ状態でゆっくりと品物を回して刃物を当て、帯のように削って『受け』をつくる。そこにローラーの『受け止め』を設置して下から支える」(きしろの中島千寿常務)。この「受け」をいくつか設け、「受け」と「受け」の間を加工していく(資料提供:大和ミュージアム)

 ちなみに、「旋盤」というのは筒状の部品の外側を加工する機械で、筒の両端を保持して回転させ、それにバイトと呼ばれる刃物を横から押し当て、削っていく。旋盤の重さは約219トン。丸棒を回転させる巨大な「面盤」は、まるでトンネルを掘削するシールドマシンのようだ。

 戦後、破壊を免れたこの旋盤は1953年に神戸製鋼所に払い下げられ、96年に「きしろ」に買い取られたという経緯がある。

■21時間で1億円を突破

 博物館への寄贈を受けて、呉市議会では旋盤の海上輸送や展示場建設の費用として、1億5000万円を盛り込んだ予算が可決された。

 ところが、新型コロナ感染症対策の費用が膨らみ、旋盤の展示に必要な予算は枯渇。そこで博物館が試みたのが、クラウドファンディングを通じた資金集めだった。目標額は2カ月間で1億円に設定した。

「8月3日午前9時にスタートして、翌日午前6時には1億円を突破しました。21時間。1日もかかりませんでした」と、兼光さんは驚きの声を上げる。

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主砲に生かされた日本刀づくりの技術