昭和40年3月の路線図。池袋界隈。(資料提供/東京都交通局)
昭和40年3月の路線図。池袋界隈。(資料提供/東京都交通局)

 闇市の時代が終わった1954年には、東口の駅前広場が整備された。都電の停留所は100mほど短縮され、新たに二線二面の乗車場が設けられた。日曜・祭日になると、池袋駅前~上野広小路を結ぶ臨時20系統も運転され、普段は17系統しか発着しない池袋駅前に彩を添えてくれる。

 背景右側でトロリーバスの103系統が発車待ちしている。池袋駅前は102・103・104の三系統のトロリーバス路線の起点で、「トロバス」ファンが集まる場所だった。この103系統は池袋駅前~亀戸駅前を結んでいた。路線の途中には、国鉄・山手貨物線のような直流1500V電化鉄道線と交差する踏切が三カ所あった。トロリーバスに小出力のディーゼルエンジを搭載。踏切区間はトロリーポールを降ろし、ディーゼル動力で走行する方式で、踏切通行時の課題に対処した。いすゞ自動車製の補助エンジンを搭載した300型と350型が、103・104系統に充当された。

青江三奈が唄った「池袋の夜」

 池袋駅東口のランドマークといえば、当時も今も南北方向に建ち並ぶ百貨店群だ。写真左側が「西武百貨店」で、戦前からの菊屋デパート、のちの武蔵野デパートを経て、1949年から西武百貨店となった。右側は1958年に開店した「東京丸物池袋店」だ。1968年に西武百貨店に買収されて、池袋の若者ファッションの発信基地「パルコ」になった。

 筆者の撮影から4年経った1969年、青江三奈さんが唄った「池袋の夜」が大ヒットし、「池袋」の地名は日本の津々浦々まで知れ渡った。妖艶でハスキーな青江さんの歌詞に出てくる「美久仁小路(みくにこうじ)」や「人生横丁」はいずれも都電が走る東口にあり、戦後の闇市ムードを醸し出す飲み屋街だった。

「池袋の夜」が巷に流れる1969年10月、このエレジーに送られるかのように17系統が廃止され、池袋駅東口から都電の轍(わだち)が消え去った。

■撮影:1965年11月7日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数。9月には軽便鉄道に特化した作品展「軽便風土記」をJCIIフォトサロン(東京都千代田区)にて開催中。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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