個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は「抜歯という偉業」について。
【画像】40歳からビジュアルが変わらない?佐藤二朗で“まちがいさがし”
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抜歯である。
俺、最近、抜歯をしたのである。
俺ってば、抜歯を、見事にやり遂げたのである。
抜歯をしてから10日ほど経つというのに、いまだに俺はその達成感に、未曾有の大仕事をやり遂げた達成感に浸っている。
宇宙で1番怖いのは静電気と公言する俺だが、妻を除いて1番怖いのは静電気な俺だが、じゃあ2番目じゃねえかということだが、とにかく妻や静電気と同じくらい、いやそれ以上に怖いのが、歯の治療なのである。
子どもの頃、歯医者に行く3日くらい前から眠れなかった。怖くて怖くて眠れなかった。
治療当日は緊張のあまり、朝からメシも喉を通らず、小学校の授業もうわの空。顔は紅潮し、手は震え、この瞬間に世界が終わってほしいとさえ本気で思った。
そして地獄の入り口である歯医者の待合室では、恐怖のあまり発狂しそうになった。なんとか正気を保たねばと思い、当時その歯医者の待合室に置いてあったサザエさんの単行本を手に取った。しかし、日本が誇る、ほのぼの家族漫画をもってしても、俺の恐怖を軽減することはできなかった。あの愛くるしいタラちゃんの言動さえも、波平のキュートな一本毛さえも、忌まわしく、おぞましい、迫り来る歯の治療の地獄の暗示のような気がした。
「ねえ博之~」「なんだよ春子、そんな艶っぽい声出して」「ふふ。博之~、アタシ今夜は、そんな気分なの」「そんな気分ってどんな気分さ?」「ふふ。いじわる。博之のいじわる」「わかんないよ春子、一体どんな気分さ?」「今夜は! ワカメを! アタシのワカメを! 博之の好きにしてほしい気分なの!」「春子ーーー!!」「博之ーーー!!」
ちょ、どうした。俺は確か歯医者の話を書いてたはずなのに唐突にどうした。「ワカメ」でようやく前段との関連性が薄く分かるまで、読者諸兄は不安いっぱいで読んだと思うぞ。あるいは読むのをやめたと思うぞ。