松村宗亮さんの茶室「文彩庵」。茶室の銘は、裏千家十六代家元坐忘斎より授かったものだ。ここで日々、お稽古をしたり茶会を開いたり。横浜のマンションの5階にあるが、都会とは思えぬ静けさを味わえる
松村宗亮さんの茶室「文彩庵」。茶室の銘は、裏千家十六代家元坐忘斎より授かったものだ。ここで日々、お稽古をしたり茶会を開いたり。横浜のマンションの5階にあるが、都会とは思えぬ静けさを味わえる

 4月10日に出版された『人生を豊かにする あたらしい茶道』の著者・松村宗亮さんは、裏千家茶道教室「SHUHALLY」を運営・指導するかたわら、茶道系YouTuberとして茶道の魅力を発信している異色の茶道家。4月10日に配信した記事「異色の茶道家の原体験は『女の子を呼べる部屋作り』 茶の湯はもっと自由でいい」では、彼の独特の茶道観が生まれるまでを紹介したが、松村さんは著書で、「茶道の歴史」も解説している。

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 今から二千余年前の中国で飲まれていた「お茶」は、どのようにして現在の日本の「茶道」になったのか。その過程では、織田信長、千利休などのキーパーソンがさまざまな変化を起こしていた。著書から抜粋する形で紹介したい。

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 お茶についての最古の記録は紀元前1世紀の中国南部。詩人・王褒の『僮約(どうやく)』に、「茶を買う」などと書かれており、当時から喫茶の習慣があったと考えられます。

 隋(581~618年)から唐(618~907年)の時代にかけて、喫茶の習慣は中国全土へ拡大。そのさなか、世界初の茶の専門書『茶経』が文人・陸羽によって書かれた。この時代には「茶(へいちゃ)」といって、茶葉を蒸して臼でつき固め、乾燥させたものを削って粉末状にし、塩をいれた湯で煮立てて飲んでいました。

 宋(960~1279年)の時代になると、餅茶の製法が複雑化して「団茶(だんちゃ)」などと呼ばれるようになり、嗜好(しこう)品として文人や富裕層へ広まっていきます。彼らはお茶を飲みながら書画詩歌を楽しみ、ときにはお茶の色や味、香りを競い合う「闘茶(とうちゃ)」をおこないました。茶葉の粉末に湯を注ぎ茶筅(ちゃせん)で混ぜて飲む「抹茶法」がはじまったのもこの頃です。のちに宋で禅宗を学んだ栄西によって日本に伝えられ、現在の薄茶点前のもとになりました。

 日本で最初に飲まれたお茶は、平安時代初期に遣唐使が持ち帰った餅茶だと考えられています。薬として天皇に献上されましたが、広くは普及しませんでした。

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茶道具は「ステータスシンボル」