クイズブームが続いていると言われる。世界最初のクイズを出したのはスフィンクス、日本初のクイズ番組をもたらしたのはGHQ(連合国軍総司令部)だったということは、4月10日に配信した記事「日本最初のクイズ番組はGHQがもたらした?ブームだからこそ知りたい『クイズの歴史』昭和編」で紹介した。昭和から高まってきたクイズブームは平成に至って、どのように進化していくのか。

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『史上初! これ1冊でクイズのことがまるっとわかる クイズ用語辞典』(三木智隆、石野将樹、徳久倫康 著/田中健一 著・監修)では、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の優勝者が平成以降の進化も解説している。抜粋して紹介したい。

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 昭和が生んだ圧倒的スケールのクイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」に続き、平成元年である1989年には「史上最強のクイズ王決定戦」、翌90年には「FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!」がスタート。この2番組は90年代前半にクイズ王番組の双璧と言える存在となり、ハイレベルな問題に次々と正解していくクイズプレーヤーが大きな注目を集めました。

「ウルトラ」「史上最強」「FNS」が並び立ったのはほんの数年ですが、この3番組の頂に立つことが多くのクイズプレーヤーの憧れでした。全てを制覇すれば「三冠王」や「グランドスラム」といった称号が贈られた(または自称した)と思われますが、三冠どころか二冠の達成者さえ現れなかったことからも、群雄割拠の時代だったことがわかります。

 残念ながら、華やかな時代は長続きせず、1992年に「ウルトラ」、94年に「FNS」、95年に「史上最強」が次々に終了。一時的な大型クイズ番組ブームが去りました。一方で、80~90年代に人気を集めたのは、海外取材系の「なるほど!ザ・ワールド」や「日立 世界ふしぎ発見!」、パズル系の「マジカル頭脳パワー!!」、教科書系の「平成教育委員会」のように、雑学的なクイズとは一線を画し、どれも芸能人が解答者となる番組でした。

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