内視鏡検査を受けた20年9月からつけ始めた闘病記録ノート。「自分の生きた
あかしを残したくて」書き始めたが、病気を客観視する手立てにもなった。 撮影/高橋奈緒(写真映像部)
内視鏡検査を受けた20年9月からつけ始めた闘病記録ノート。「自分の生きた あかしを残したくて」書き始めたが、病気を客観視する手立てにもなった。 撮影/高橋奈緒(写真映像部)

 桑野さんは麻酔から目覚めたとき、真っ先に確認したことがありました。それは、人工肛門が左右どちらについているか。

「左側についていると一生人工肛門。右だと外せる可能性が高いと言われていました。確認すると右側。安心しました」

 それでも手術後はしばらく人工肛門で生活した桑野さん。

「自分が人工肛門になるなんて、恥ずかしくてとても人に話せないと思ってたんです。でもね、高齢者から子どもまでオストメイト(人工肛門装着者)はたくさんいるし、ストーマ(人工肛門)姿で写真に写るモデルもいます。恥じている自分のほうが恥ずかしくなりました」

 桑野さんの人工肛門装着期間は約3カ月間。それでも「強がりじゃなく、ストーマ生活ができてよかったと思っている」と桑野さんは振り返ります。

「オレ、けっこうストーマバッグの交換もうまくてね。一度も失敗しなかった。だんだん人工肛門がかわいく見えて、なごりおしくなっちゃった(笑)。別れる前には記念撮影までしましたよ」

 手術から2週間後、桑野さんは無事に退院します。しかしここからが、桑野さんいわく「地獄の日々」の始まりだったのです。

■抗がん剤治療をやめるという決断

 一つ目の苦難は、大きな目標を見失ったことでした。

「トランペットを吹いても全然音が鳴らなかったんです。おなかに力が入らない。手術後2カ月でステージに立つなんて、考えが甘かった。人工肛門にトラブルがあれば多くの人に迷惑をかける。悔しくてたまらなかったけれど4月のライブをあきらめることにしました」

 目標を7月の大阪公演に切り替え、手術後の抗がん剤治療を開始した桑野さんに、二つ目の苦難が待ち受けていました。

「副作用がひどすぎたんです。全身冷たくなって、立てないし動けない。トイレを抱えて一晩中吐き続けるけど、胃には何もない。このままだとダメになる、もう無理だ、抗がん剤治療はやめようと思いました」

 主治医は「本当にいいんですか?」と念押ししつつも、桑野さんの気持ちを受け止めてくれました。抗がん剤を続けても再発しないとは限らないし、やめたら再発するとも限らない。「桑野さんは一人しかいないので比較して検証できませんから、最終的な決断は桑野さんにしかできないんです」と医師は言ったそうです。

「もしかしたら再発するかもしれません。でもオレは、これ以上頑張らないと決めました」

 そして最大の「地獄」は、その1カ月後、人工肛門を外す手術をしたあとに訪れました。

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なるようにしかならない、でもあきらめない