人気低迷の理由はさまざまだが、その大きな要因には、制服自由化が生んだ副作用があった。

「女子生徒の夏場の服装を不安に思う保護者が出始めたのが、このころです。当時は学校にエアコンがありませんでしたから、薄着で、かなり露出の多い格好で登校する生徒がいたようです。また、ファッション性が高いといいますか、派手な格好の生徒もいて、『服装ばかり気にしている』と悩みを話す保護者もいました」(塩田さん)

 化粧や服を選ぶのに時間がかかるためか、遅刻してくる生徒も増えたという。

 保護者だけでなく、地元の中学の教員たちからも評価されなくなった。「中学ではまじめだったのに、小金に入って金髪になった」と露骨に不信感を口にする中学の教員もいたようだ。

 もちろん、金髪=悪い生徒ではないが、

「周りから見たら、ということですよね。小金高校が掲げる『自主・自律』って、どうなんだろうねって思われてしまったのでしょう」

 と塩田さんは振り返る。

 同校の卒業生である40代男性はこう語る。

「みんなが派手だったとか、乱れ切ったということじゃないんですよ。ただ、自由や自主というより、思うまま、テキトーで許される学校という雰囲気が生まれてしまった気はします」

 自由な校風ゆえのあつれきもあった。

 小金高校は1990年代、卒業式では日の丸を掲げず君が代を歌わない慣例が続いていた。報道でそれを知った右翼団体が卒業式に街宣車でやってくるようになり、その模様がメディアで報じられた。思い出の学び舎を巣立つ日が、違う意味で注目を浴びるようになってしまった。

 さまざまなマイナス作用が生じた結果、松戸市にありながら、松戸市の中学生の志願者が一気に減ってしまった。

「生徒たちの『自由』が、教員や保護者の想定を超えてしまったということでしょうか」(塩田さん)

 そもそも、学校の制服自由化の動きは、60~70年代の学生運動が盛んだった時期に端を発するとされる。制服が「管理の象徴」として扱われ、自由化を“勝ち取った”時代だ。例えばそうした運動が盛んだった長野県では、私服通学の高校が今でも多い。

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AKB48の登場で変わった制服へのイメージ