1972年10月28日午後、中国から東京・上野動物園に到着したカンカン、ランラン(写真=朝日新聞社)
1972年10月28日午後、中国から東京・上野動物園に到着したカンカン、ランラン(写真=朝日新聞社)

 今年2022年は日中国交正常化50周年、そしてパンダが初めて来日してから50周年となる節目の年です。中国の北京動物園から海を越えて、カンカンとランランが東京の上野動物園にやってきたのは1972年10月28日のことでした。以来、上野動物園のパンダたちは常に日中関係に大きく翻弄されることになります。その歴史を、東京女子大学准教授の家永真幸先生に振り返っていただきました。(監修・日本パンダ保護協会『来日50周年メモリアル パンダが日本にやってきた!』より一部を抜粋・再構成)

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■未知の生き物、パンダ

 パンダが人びとから愛されるようになった歴史は、実はそれほど古くない。1936年、ルース・ハークネスという女性が中国から1頭の赤ちゃんパンダを連れ帰ったのをきっかけに、アメリカで世界初の「パンダブーム」が起こった。パンダはその後、見る間に米英で人気動物となり、次第に中国を代表する存在にもなっていく。

中国から贈られたカンカン(右)とランラン(1972年11月4日、写真=朝日新聞社)
中国から贈られたカンカン(右)とランラン(1972年11月4日、写真=朝日新聞社)

しかし、日本では戦前の時点でパンダに関心を持った人はごくわずかだった。アメリカ帰りの叔父からパンダのぬいぐるみをお土産にもらい、後にパンダファンとなった黒柳徹子少女は珍しい例外だろう。

■「友好のシンボル」となるパンダ

 日本は戦後、中国内戦に敗れ台湾に撤退した中華民国政府との間で1952年に講和条約を結ぶ一方、49年に北京に成立した中華人民共和国とは国交を樹立しなかった。しかし、72年に日本は台湾と断交し、北京との間で「国交正常化」を果たす。これを記念して、中国から日本の上野動物園にランランとカンカンが贈られると、2頭は当時の日中友好ムードと相まって、爆発的なブームを巻き起こした。

 1979年にランランが死んでしまうが、中国政府はすぐに、代わりのメスとしてホァンホァンを上野に贈った。80年にはカンカンも死んでしまったが、日中国交正常化10周年にあたる82年に、オスのフェイフェイが新たに贈られた。

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パンダが死んでもすぐに代わりを贈ってもらえた背景とは?