北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

 振込明細書に印刷された名前の印象は若い男である。支店名からは、交通の便が決していいとはいえない地方暮らしのようである。生活が苦しいのだろうか。深刻な事情があるんだろうか。神からの贈り物とでも思われているのだろうか。いったいどういう理由で、お金を返さないなどという選択ができるのだろうか。私の誤送金のために銀行に出向いてもらうのは申し訳ない、という思いもないわけじゃない。

 が! それにしても! 「返さない」という大胆不敵さからは、「間違えたほうが悪い」とでもいうような自己責任論を押しつけられているような不快感も拭えなかった。銀行からは「諦めるしかない」と言われたが、「そんな道理は通らねぇ」と、私の心の中に住む“正義のオバサン”がむくむくと仁王立ちしはじめてしまい、諦めないことに決めた。相手と関わることの気持ち悪さもあるし、送金した以上のお金がかかる可能性もあるし、そんなことをしてもお金が返ってこない可能性もあるが粘ろうと決めたのだ。

 こういう時、頼りになる弁護士がいてくれるのはありがたいことである。私の会社の顧問弁護士は、「弁護士会照会制度を使えば相手は特定できますよ」とすぐに対応してくれることになった。弁護士会照会制度とは、個々の弁護士に代わり弁護士会が官公庁や企業などに事実を立証するための必要事項を調査できる制度だという。しかも「個人情報」を理由に情報開示を拒否できないものだという。そんな制度があることすら知らなかったが、銀行の人も、「返金拒否します」と相手が言った時に、「弁護士が介入すれば個人情報が特定されて返金要求される可能性がありますよ」と教えてあげればよいものを……と思うほどに、相手の個人情報は銀行によってスムーズに開示され特定されたのだった。

 それからはあっけないほどに早かった。返金を求める内容証明を弁護士の名前で送った途端、「今から振り込みます!」と焦った調子の声で弁護士に電話があり、実際、相手(20代男性だった)の家に内容証明が届いてから1時間も経たないうちに、誤送金した全額が振り込まれた。弁護士からの正式な書類で法をちらつかせた途端に返金する程度にはフツーの感覚が相手にあったことで、私の「誤送金事件」は簡単に解決したのだった。

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二つの「お金」の事件