写真はイメージです(GettyImages)
写真はイメージです(GettyImages)
この記事の写真をすべて見る

 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、AVに関する新法について。

【写真】北原みのりさんはこちら

*   *  *

 映画監督の小林勇貴氏が、リアリティーを出すために子役を実際に殴る演出をしていたことに批判が集まっている。実際の映像を見ると、体格の良い成人男性が、自分の半分もないような子どもを地面に押さえつけ、髪の毛をつかみ、大声を出しながら殴っている。殴られている子どもの心理は見ている側には分からない。「怖がっている」のは演技なのか、演技ではないのか。その境はどこにあるのか。殴る側はどのような心理なのだろう。監督に「殴れ」と言われたら、たとえ相手が子どもであっても、「殴る」ことは「業務」になってしまうのだろうか。

 実際、殴っていた男性は、いったん「カット!」の声がかかると、スッと、何の違和感もなく、それまでのことがウソのように「素」に戻っていた。殴られていた子どもはすぐには気持ちを切り替えることはできないようで、頬を押さえ目を伏せているように見える。そんな子どもに、周りの大人たちが「よくがんばった!」などと明るくいたわるように声をかけていた。

「異常な光景だ」と、ネット上では小林監督への批判が集中している。確かに、問題のある映像だと私も心から思う。一方で、この映像に私はとても既視感をもつ。こうした演出という名のもとでの暴力は、AVの撮影でも同じように行われている。

 年間3万本制作されているAVの現場で行われているのは、実際の性交、実際の暴力である。男性器を肛門や膣や口に挿入するだけではない。女性を殴ったり、水の中に顔をうずめさせたり、圧縮袋に入れて窒息寸前まで苦しめるようなことをしたりなど、女性が苦痛にもだえるような姿が記録されている映像は無数にある。何らかの特殊映像が使われているとか、本当は圧縮袋に入れられていないのに圧縮袋に入れられている演技をしているとかいうのではなく、実際に圧縮袋に入れられた女性が映像として記録されるのだ。もちろん、事故も起きる。2004年には女性に薬物を吸わせ、肛門に器具を挿入して破裂させ、直腸に重傷を負わせる事件も起きている。処置が少しでも遅ければ女性は死んでいたといわれている。

次のページ
「リアル」が求められる撮影現場