宮崎学さん=2005年撮影
宮崎学さん=2005年撮影

 グリコ森永事件の「キツネ目の男」として話題になり、数々のノンフィクションや小説を世に送り出した、作家の宮崎学さん(76)が3月30日、老衰のため群馬県の高齢者施設で死去した。

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1985年1月、大阪府警捜査本部が公開した不審な男の似顔絵
1985年1月、大阪府警捜査本部が公開した不審な男の似顔絵

 宮崎さんは、京都市生まれで、早稲田大学時代には学生運動で名を知られ、中退。週刊誌「週刊現代」の記者として健筆をふるい、1996年に、戦後日本の裏社会や経済の実態を描いた「突破者」でデビュー。人気を博した。

 早稲田大学時代から宮崎さんと交流がある、ジャーナリストの大谷昭宏氏がこう語る。

「私にとっては親友であり、変だけどかけがえのない友達『変友(へんゆう)』だった。豪快で、はちゃめちゃな男で、人の3倍くらい楽しんだ人生だと思う。ああいう男がいなくなると世の中がつまらなくなる。もっと生きていてほしかった」

 大谷さんから見た宮崎さんは、デビュー作の強烈なイメージがあった。1984年から85年にかけてグリコのトップが誘拐され、「どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相」というメッセージとともに毒入りの菓子が店頭に置かれるなどして社会を震撼(しんかん)させた、グリコ森永事件の指名手配の似顔絵「きつね目の男」とそっくりだったことも拍車をかけた。

 犯人グループの脅迫状に使われた便箋(びんせん)は、宮崎さんの実家の建設会社がひいきにしていた文房具店でしか取り扱っていなかった。そのことで「重要参考人」と目され、何度も警察から事情聴取を受けた。

 大谷さんが読売新聞の警察担当の記者時代にグリコ森永事件が起こり、取材する側とされる側でもあった。大谷さんが振り返る。

「読売新聞をやめた後も、グリコ森永事件はずっと追いかけていました。似顔絵に便箋、本当に宮崎がかかわっているんじゃないかと疑いましたよ。だけど、大阪府警などは犯人にたどりつくことができず、未解決事件として時効を迎えました。そこで、時効のタイミングにあわせて、テレビ番組で私と彼が対談したんです。生放送中に『今までさんざん、犯人扱いしやがって、お前らどう落とし前つけるんや』とブチ切れ、怒鳴り散らした。テレビ局側もびっくりだったのを今も鮮明に覚えていますよ」

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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「あの便箋、あれは俺もびっくりした。焦った」