タケカワユキヒデさん(事務所提供)
タケカワユキヒデさん(事務所提供)

■作曲時間は12時間~タケカワユキヒデさん

 映画化に当たり、プロデューサーの高見義雄さん(故人)は鉄郎の年齢を原作より上の15歳に引き上げました。「アニメーションが子供のものだけではない、本格的な映画を作りたいという事が僕らの願いでした。だから主題歌を含め、すべてテレビとは一新した取り組みをしたんです」と後に語っています。(「そして音楽が始まるー名曲に隠された感動のドキュメント」2003、マーブルトロン)

 高見さんが主題歌を打診したのがゴダイゴでした。当時「ガンダーラ」「モンキーマジック」などのヒットを飛ばした人気絶頂のロックバンド。コンサートに足を運んだ高見さんは、子供から大人まで集まる熱気を感じ、英語で歌う様子に「彼らには新しい音楽への期待がある」と依頼を決めました(同書)

 当時のゴダイゴは超多忙でした。打診は1979年4月から始まる全国ツアーの直前。映画の公開は同年8月に決まっており、逆算すると3月中に仕上げねばなりません。それでも「僕らにしかできないポップソングを作ろう」と仕事を引き受けます。コンビを組んでいた作詞家、奈良橋陽子さんの詞が、作曲とボーカル担当のタケカワユキヒデさんに届いたのは深夜12時、締め切りは翌日の正午と、作曲時間は12時間しかなかったのです。

 奈良橋さんは、鉄郎が、空に昇っていく「999」を見上げるラストシーンの絵コンテをもとに、飛び立つイメージの英語詞を書いていました。キーワードは「Journey」。この詞をもとにタケカワさんは最初のメロディーを思いつきます。出来た途端「勝った。これはいい曲になる」と直感したとか。「最初に分かりやすいメロディーがあるのがゴダイゴ流。それまでのヒットに匹敵する曲を提供しないと、苦労が水の泡になる。プレッシャーはありましたが、時間がなかったので感じなくて済みました」。タケカワさんは12時間で曲を仕上げます。ややスローなテンポだった原曲をミッキー吉野さんが引き取り、躍動感のあふれたイントロをつけ、テンポを速めて完成しました。

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