青木さやかさん(撮影/写真部・張溢文)
青木さやかさん(撮影/写真部・張溢文)

――母親にも伝えたくなかった理由は?

 心配をかけたくなかったということもあるし、母も悪性リンパ腫を患っていたので負担をかけたくないということが一番大きいと思います。親だと「自分のせいで娘が」とか思うかもしれないじゃないですか。それにそこまで甘えられる相手ではなかったから、言わなかったというのもあります。20年くらいしゃべってませんでしたから。母は2年前に亡くなりましたが、がんの件は伝えることはなかったです。母が生きている間はがんが知られないようにしようとしてきましたから。

――娘さんにもお伝えにならなかったんですね。

 娘もまだ小学2年生で、小さかったので、何も伝えませんでした。私が手術したことを知ったのは、最近ですね。改めて報告したのではなく、何げない普通の会話の中で伝えたと思います。特に衝撃もない様子でした。小学生にとってがんと聞いても、ピンとこないのだと思います。

――どのようにがんに向き合ったのでしょうか。

 怖さって夜に増幅してくるんです。怖くて病院から家に帰っちゃう人もいるみたいです。お医者さんからは「帰らないでくださいね」と言われて。眠れなくて、睡眠導入剤をもらいました。手術に向けて何が大事かというと、体力なんです。だから寝なければならいというのもあって、無理やり寝ました。自分が努力しないといけないことの一つなので、仕事みたいなものですよね。それはメンタルも一緒だと思います。毎日毎日泣き暮らしていたら、ご飯も食べられなくて、どんどん体力も落ちていく。じゃあ何が必要かといったら、規則正しい生活と、ある程度の運動と、毎日変わらない生活をするほかはない。そんな感じだったと思います。

――がんを経験して、何か変化したものはありますか?

 両親も母方の祖父もがんでした。「がん家系」という言葉があるじゃないですか。私もそれだと思っていて。でも、それを娘には受け継いで欲しくないなぁという思いがありまして。もし因果というものがあるとしたら、娘にはその因果を渡したくない。だから、私の生き方を変えたというのはあります。私に止められるものがあるなら、止めたいと思いました。私の生き方を変えることで、娘の人生を変えたいと強く思ったんです。その境地に至ったのは、病気になったからです。

次のページ