71年夏に甲子園初出場、74年春は部員11人で準優勝を果たし「さわやかイレブン」と全国的話題となった(優勝校は兵庫の報徳学園)。82年夏はのちにプロで活躍する畠山準(元横浜ほか)、水野雄仁(元巨人)らを擁し初の全国制覇を達成。翌83年春と86年春も全国優勝するなど誰もが知る強豪校となった。強打で打ち勝つチームは「やまびこ打線」と呼ばれた。
時は流れ甲子園常連校の顔ぶれも変化した。野球の質自体も大きく変わり、昔ながらの方法では結果を残すのが難しくなった。池高も一時期、流れの中でもがき続けていた。今も試行錯誤を重ねて時代に即した新しい池高野球を作り出している真っ最中だ。
「井上監督のスカウト力というか、学校区内で良い選手を集められているのがまずは大きい。投手は全国レベルの良い投手が継続的に集まっている。打撃は以前のような飛び抜けてパワフルな選手はいません。『やまびこ打線」のような長打は出ませんが、短打でつなぐ細かい野球ができている。井上監督は技術はもちろん、フィジカル面も重視している。ウエイトトレーニングやサプリメント摂取を効果的に取り入れ、身体ができている選手も多くなった。選手がしっかり育っています」(真鍋氏)
「徳島県は少子化が進んでいて1校でチームを作るのが難しくなっている。県内でも秋の段階では合同チームを作って出場するところもあるくらい。そういう状況下でチーム作りも努力している。池高は県西部の僻地なので選手集めには苦労しますが、地元から入部した選手をしっかり育てている。例えば篠原は県西部出身でそういう選手を大事にする。また県外からも選手を一定人数獲得して鍛え上げています。地元出身選手と合わせて、バランスが良いチーム作りができていると思います」(徳島新聞・木村記者)
全国的な少子化の波は徳島県にも及んでいる。定員割れも多く統廃合となる学校も現れ始めており、野球部存続さえ難しい状況だ。池高は井上監督が中心となり学校区内からの選手招集に力を注ぎ育成している。そこに県外選手を数人加え、県内選手とのバランスを保ちつつチーム力向上を図っている。