「男(おのこ)のいきのこらむ事は、千万が一つもありがたし。設(たと)ひ又遠きゆかりは、おのづからいき残りたりといふとも、我等が後世をとぶらはん事もありがたし。昔より女はころさぬならひなれば、いかにもしてながらへて、主上(しゅしゃう)の後世をもとぶらひ参らせ、我等が後生(ごしょう)をもたすけ給へ」

【現代語訳】
「(平家の)男が生き残ることは、千にひとつもないでしょう。また遠い縁者はたまたま助かったとしても、私たちの後世を弔ってくれるなどということはないでしょう。昔から女は殺さないのが習いですから、どうにか生き延びて、主上(筆者注:安徳天皇のこと)の後世を弔って差し上げて、また私たちの来世のことも祈ってください」(平家物語 灌頂巻 六道之沙汰)

 物語によれば、平家一門のほとんどが討たれ、処刑され、清盛に近しい親族で生き延びたのは娘の建礼門院だけだった。ほか一門の公(きんだち)達の妻たちは自害もしているが、なんとか生き残った女性たぼ出家している。

 非戦闘員である女性は、基本的には殺されることはない。遺された彼女たちに与えられた使命は、亡くなった父や夫の「後世を弔う」ことだった。亡くなってしまった本人たちはもう仏道修行に励むことはできないので、遺された女性たちが出家して、故人のために徳を積もうとしたのである。特に武士の妻の場合には、殺生(せっしょう)という仏教が最も強く戒める罪を犯した夫を、堕地獄から救わなければならなかった。

 一族のうち誰か一人でも生き延びなければ――中世の戦乱の時代、一族の血脈を繋ぐことも重要だったが、武士たちにとっては自分を供養してくれる人を「この世」に遺しておくことが、堕地獄を免れる手段のひとつとして重要だった。堕地獄を怖れるあまり、供養する人物の確保は脅迫的な観念に近かったことが様々な逸話から見てとれる。この供養の手厚さによって、十王の裁断が変わるからだ。

『平家物語』の引用が続いたが、こうした考え方が見えるのは『平家物語』に限らない。中世文学においてはあまりに定番の表現で、むしろ陳腐ですらある。そして大概の場合、女性の存在が大きな鍵となっていた。