「選手の気持ちもわかるが、我々も決められたルールは守って取材している。イチローには声をかけても返事をしてもらえない時もあった。大坂に関しても賛否両論がある。野球のようにクラブハウス取材における取材拒否ではなく、公式会見を拒否するのは賛成できない」(在米スポーツライター)

 クラブハウスでは選手にもある種のプライベートも存在する。記者側も認識しており、選手が取材を断ればそれ以上踏み込むことはできない。しかし今回の大坂は、パブリックな場所での公式行事を拒否した形である。大会、そしてテニスの伝統に対しての批判と受け止められても仕方がない。

「イチローの引退会見でナンセンスな質問が続出したことは、米国でも話題になった。そういうことは日本だけでに限った事ではなく、世界中でも日常的に見かける。選手も人間なので感情的になるのはわかる。しかし試合会場では公人でもあるのだから、多少の我慢も必要。バランスが難しい部分で正解はない」(ロサンゼルス在住スポーツコラムニスト)

 選手はプロとしてロールモデル(社会的規範)であることが求められる。24時間365日、聖人君子でいる必要はないが、責任ある立場であることは間違いない。信じられない収入があるのも、競技において飛び抜けた才能があるからだけではない。発言や振る舞いに求められることが増えるのは、宿命である。しかし一方でSNSなどを通して、自らの意見などをリアルタイムで自由に述べることも可能になった。時代は変化しており、選手自身の考え方が大きく変わっているのも現実だ。

「伝統? 慣習? 人権?」

 今後も続いていく大きなテーマになるが、なかなか正しい答えは見つからないのだろう。