2020年東京五輪の選手村 (c)朝日新聞社
2020年東京五輪の選手村 (c)朝日新聞社
64年東京五輪選手村で働いた、大学別の学生アルバイト
64年東京五輪選手村で働いた、大学別の学生アルバイト

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会で外国からの選手を受け入れる施設=選手村(東京都中央区晴海)は、オリンピックも延期によって1年間閑散としていた。新型コロナ感染が終息しないなか、今年も大会開催が危ぶまれている。選手村がさまざまな国、地域からやって来た選手などで賑わう日が来るだろうか。

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 1964年オリンピック東京大会のとき、選手村は現在の代々木公園あたりにあった。当時、選手村には、外国人選手の世話をする日本人スタッフが多く働いている。その主力は食堂などでアルバイトに精を出す大学生だった。当時の様子について、近著『大学とオリンピック』(中公新書ラクレ)から一部抜粋、再構成して紹介する(取材は2020年4~10月)。

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 オリンピック各国選手団の宿泊施設となる代々木の選手村には、大食堂がいくつもあり大学生がたくさん働いていた。

 彼らの業務内容が次のように記録されている。

「使用した食器類、皿台などの跡片づけ、洗浄、食卓の掃除を行なった。これらのサービスは、各大学の観光部、ホテル部から選抜された学生が担当した」(『第18回オリンピック競技大会公式報告書』1966年)

 学生たちには業務に関する委嘱状が渡されている。

「委嘱状 ○○大学 ○○○○ 貴君に当委員会のオリンピック東京大会選手村給食業務要員を委嘱する 昭和三十九年一月一日 社団法人日本ホテル協会 オリンピック東京大会選手村給食業務委員会 会長犬丸徹三(注・帝国ホテル社長)」

 選手村食堂は「富士」「桜」と名付けられ、国や地域別に分かれて合計12室あった。ここに都内の大学の観光事業研究会やホテル研究会の学生が各室に分かれて業務を担った。

 明治大観光事業研究会からは約50人の学生が参加している。同大法学部3年の谷口恒明は「キャプテン」として、学生たちがそれぞれの持ち場で働けるようとりまとめていた。こうふり返っている。

「混雑して人手が足りなくなると、他の食堂に応援を求めるなど、学生をうまく配置できるように調整していました。研修は念入りに行われ、ナイフとフォークの使い方、食器の片づけ方や磨き方などを教えてもらいました。当時、学生の身分では体験できないような西洋式スタイルで、たとえば、バターがいくつにも刻まれて氷の上にのっかっており、いくらでも使っていい。こんな豊かな世界があるのだなと思いました」

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