櫻井よしこ氏らを提訴した訴訟の判決のため、弁護士らとともに札幌高裁に入る植村隆氏(手前中央)/2020年2月6日、札幌市中央区(c)朝日新聞社
櫻井よしこ氏らを提訴した訴訟の判決のため、弁護士らとともに札幌高裁に入る植村隆氏(手前中央)/2020年2月6日、札幌市中央区(c)朝日新聞社

 植村隆・元朝日新聞記者が、ジャーナリストの櫻井よしこ氏らに名誉を傷つけられたと訴えた裁判。最高裁で敗訴が確定しながら、植村氏はなぜ「裁判内容では勝った」と主張したのか――。

【図】「日本には負けられない」アンケートで明らかになった韓国の本音

 朝日新聞編集委員・北野隆一氏が昨年8月に出版した『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』(朝日選書)。朝日新聞の慰安婦報道と、これに対して右派3グループが朝日新聞社を相手に起こした集団訴訟、さらに植村氏の訴訟の経過が記されている。植村氏の言葉の意味 を、裁判で明らかにされた事実に基づいて北野氏が読み解く。

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 昨年11月19日、札幌市の法律事務所に最高裁から1通の書面が届いた。18日付で「上告を棄却する」とする第二小法廷の決定が記されていた。

 裁判の原告は元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏。元慰安婦の証言を伝えた記事をめぐって、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が「捏造」と記述したことで名誉を傷つけられたとして、櫻井氏と出版3社を相手取り損害賠償などを求めていた。最高裁が上告を退けたことにより、原告の請求を棄却した札幌地裁と高裁の判決が確定した。

 原告弁護団と支援者らは19日、札幌市で急きょ記者会見した。韓国カトリック大学で客員教授を務める植村氏は、コロナ禍のため急な帰国がかなわず、ソウルからリモートで参加。画面越しにコメントを発表した。「櫻井氏の記事は間違っていると訂正させ、元慰安婦に一人も取材していないことも確認でき、裁判内容では勝ったと思います」

 敗訴が確定したのに、植村氏はなぜ「裁判内容では勝った」と主張したのか。ことの経緯は30年前にさかのぼる。

 朝日新聞大阪社会部記者だった植村氏は1990年7月、日本軍の慰安婦だった女性の証言を聞き出そうと2週間程度、韓国内で探し歩いたが、見つけ出すことができなかった。翌91年夏、朝日のソウル支局長が「元慰安婦の女性が名乗り出てきている」との情報を得て、大阪に戻っていた植村記者に「取材に来たらどうかね」と電話で誘った。植村氏はすぐソウルへ飛んだ。

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