映画公開で再“炎上”の西野亮廣が独白「あれが全て」 (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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映画公開で再“炎上”の西野亮廣が独白「あれが全て」

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「知らないものを批判することは危険」と話した西野さん(撮影/大野洋介)

「知らないものを批判することは危険」と話した西野さん(撮影/大野洋介)

「未来は必ず“いかがわしい”ところから来る」と話した西野さん(撮影/大野洋介)

「未来は必ず“いかがわしい”ところから来る」と話した西野さん(撮影/大野洋介)

――「えんとつ町のプペル」を「僕自身の物語」とも語られていますが、どのような思いをこの作品に込められたのでしょうか。

テレビの世界に入ったのが19歳で、20歳の時に「はねるのトびら」っていう番組がスタートして、25歳の時にその番組がゴールデンタイムに上がって視聴率一番取ったんですよ。願ったりかなったりの状況になって生活も良くなったし、チヤホヤされるようにもなったんですけど、でもスターにはなってなくて。その山を超えたら色んな景色が見えるのかなと思ったら、結局見えたのは大御所の先輩方の背中で。彼らのことを追い抜いてなかったし、追い抜く気配もなくて、何かやり方をミスったのかなって。その時に最初の絶望っていうか、リクエストに応え切ったのにこれはなんだっていうのがあって。「やり方変えなきゃいけないな」と思って、そこでテレビの世界から軸足を抜いたんですよ。次に何しようかなと思った時に、やるからにはちゃんと世界にリーチできるようなエンターテイメントをやりたいなと思って、非言語か翻訳のハードルが極めて低いものがいいだろうなって考えていたんです。そんな時にタモリさんに飲みに連れて行っていただいて、「お前絵描け」って言われたんで、「やります」っていう。自分がやろうとしてたものと重なったので、絵だなと思って、そこから絵本作家になりました。

――予想だにしない「転身」に世論の風当たりは強かったですね。

そうですね。今みたいに「複業」に対する理解もなかったので、世間の総意は「なんで芸人のくせに絵本描いとんねん」とかばっかりでした。「芸人だったらひな壇でろよ」とか「大喜利やれよ」とか。「お前何屋さんなの」みたいな、1人につき肩書は 1 個っていう肩書き至上主義がすごく強くて。僕の人生で僕の時間を使って挑戦しているわけで、絵本作家になろうが何をしようが僕の勝手じゃないですか。「なんで世の中の人はこんなに関与してくるんだろう」っていうのが不思議で仕方なくて、要するに僕にむちゃくちゃ時間使ってるわけじゃないですか。この「夢を語れば笑われて行動すれば叩かれる社会」ってなんだ、と思って。これは僕だけではなくて、挑戦している人は同じ目に遭ってるんだろうなと思ったんですね。だったら自分の物語を書けば、世間に刺さるかはわかりませんが、挑戦してる人には刺さるだろうなと思って。そんな方々に向けた手紙のような感じで「えんとつ町のプペル」を書こうと決めました。

一方で、もう一つの課題としては、なぜ「夢を見る人を攻撃する」というあまりにもコスパの悪いことを多くの人がやってしまうんだろうっていう、この謎を解きたかったんです。自分の人生を使って、他人の挑戦を潰すことに時間を使っちゃう人が、なんでこんなにも多いんだろう?って。ここを描かないと「えんとつ町のプペル」は完成しないだろうなって思いました。


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