――とはいえ、何かしらの予想がないと、メディアとしては選挙戦を報じても盛り上がりにかけると思ってしまいます。「予想屋」に役割はないのでしょうか。

 そうですね。陣営の選対には必ず予想屋がいるものです。ただ、その場合自分たちの陣営に楽観的な見方はしません。どこが強くて、逆にどこが弱いか。リスクを洗い出すのが予想の目的だからです。だからバイデン陣営は決して楽観せず当日まで不安を抱えていたわけです。

 対して、メディアは、視聴者・読者を面白がらせるために出演者に予測をさせます。その人が、そもそも特定の陣営を応援している場合もあります。アメリカにもそういう人たちはいて、勝ち馬としての雰囲気を作るために「この人が勝つ」と断言します。日本において、選挙の候補者の人気投票の公表が禁止(公職選挙法第138条の3)されているのは勝ち馬投票を避けるためです。法律の制限には根拠があるのです。

 日本でおもしろがって米大統領選を特集する分には海外の選挙ですから影響は少ないと思いますが、「予想」には、政治的な思惑も多分に含まれているというのをよく理解して、割り引いて受け止めたほうがいいですよ。外国人であるわれわれが、その国の内政に無自覚に踊らされている可能性があるのですから。

――なるほど。そうしたことを理解したうえで、さらに選挙戦の本質をつかむヒントを。

 共和党寄りとされるテレビ局FOXだけでなく、ほかの新聞もテレビのニュースも米国の報道はすべからく党派的なものであると考えて内容をとらえることです。バイアスがかかっているんじゃないかと。そのなかでもフェアな司会者や記者を見抜くこと。

 それともう一点。私もよく誤解されるのですが、「こうだろう」という情勢分析と、「こうあるべきだ」という規範論を混同してしまうことがよくあります。特に日本ではその二つをなかなか分けて考えられない傾向があります。

 例えば、私がテレビで「トランプが勝つだろう」と発言したとします。そうすると私がトランプを応援していると思われてしまうということです。あくまで、「勝つだろう」は情勢分析であって、個人的な好みや支持を表明しているわけではありません。私の場合はこの二つをきちんと分けて発言しています。

 もちろん中には、「この人が勝つだろう」という発言をする背景に、本当にその人を支持している場合もあります。発言に支持や願望が込められている場合もあります。

 この二つを分けて考えられるようになれれば、もう少し選挙についてもおもしろい話ができるようになるだろうな、と思いますね。しかし、それは月刊誌のような一歩引いた「遅れ」のあるメディアでないと難しいかもしれませんが。

(聞き手/AERAdot.編集部・鎌田倫子)