その筆頭は西津軽郡木造(きづくり)町(現・つがる市)出身の第63代横綱旭富士(あさひふじ)で、平成初の横綱となった。その親戚で、後に旭富士の弟子となる安壮富士(あそうふじ)、安美錦(あみにしき)の兄弟関取と、海鵬(かいほう)、将司(まさつかさ)は西津軽郡深浦町出身である。

 また、「技のデパート」として名をはせた舞の海、誉富士(ほまれふじ)は西津軽郡鰺ヶ沢町出身。自ら気合を注入するパフォーマンスで人気を博した高見盛(たかみさかり)、追風海(はやてうみ)は、北津軽郡板柳(いたやなぎ)町出身である。

 実は旧木造町も、深浦町も、鰺ヶ沢町も、板柳町も、すべて日本海沿いのローカル線、五能線の沿線にある。さらに弘前市出身ながら若の里、寶千山(ほうちやま)の地元最寄り駅は隣接する板柳町にある五能線板柳駅である。このように、戦後、青森県出身の幕内力士は43人中18人が五能線沿線に集中しているのは興味深い。

■“一代年寄”と化した特急列車

 2001年10月6日、JR九州の篠栗(ささぐり)線や筑豊(ちくほう)本線(一部区間を除く)の交流電化開業とともに、特急「かいおう」が“初日”を迎えた。運転区間は直方(のおがた)~博多間で、福岡県直方市出身の現役力士(当時)、大関魁皇(かいおう)にちなむ。

 “師匠”はJR九州の田中浩二社長(当時)で、「地元の人に愛されるように」という願いを込めたそうだ。存命中の著名な人物が列車愛称に使われる初の事例で、事前に協会と魁皇本人の快諾を得た。

 その後、魁皇は国民的人気力士に君臨。5回優勝するも頂点まで上り詰めることは叶わなかったが、史上2人目の通算1000勝達成、大関在位1位タイの65場所を務め、2011年名古屋場所中に引退。年寄浅香山(あさかやま)を襲名し、後進の指導にあたっている。

 一方、特急「かいおう」は列車愛称を「あさかやま」に変えることもなく、“現役生活20年目”に突入した。これからも“一代年寄”として、地元に愛される特急列車となってゆくことだろう。

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「輝」にちなんだ列車「かがやき」の誕生秘話