今もお墓を訪れるファンは多い。岡田有希子さん (C)朝日新聞社
今もお墓を訪れるファンは多い。岡田有希子さん (C)朝日新聞社

 今年も「佳桜忌」がやってくる。4月8日、34年前に亡くなったアイドル・岡田有希子の命日だ。彼女の本名(佐藤佳代)と、東京の桜が満開の時期だったことから、そう命名された。享年18。所属する事務所が入っていたビルの屋上から飛び降りるという、非業の死であり、“ユッコシンドローム”という言葉も生まれた。当時、社会問題化していた少年少女の自殺という現象を、その死がさらにエスカレートさせたからだ。

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 彼女はアイドルブーム真っ只中の84年4月、竹内まりやが作詞作曲を手がけた「ファースト・デート」で歌手デビュー。日本レコード大賞の最優秀新人賞に輝くなど活躍し、翌年には「禁じられたマリコ」(TBS系)で連ドラ主演も果たした。亡くなる直前には高校を卒業して、さらなる飛躍を期待されていたものだ。

 そんな彼女は筆者にとって、特別な存在である。デビューひと月前に偶然、四谷駅で会って話したことから、いわゆる「推し」のアイドルになり、6月には人生初のインタビューをさせてもらった。葬儀にも参列したし、99年の命日には彼女がかつて下宿していたサンミュージックの相澤秀禎会長(当時)の自宅で仏壇に参らせてもらってもいる。

 それゆえ、その挫折についてはいろいろ思い当たることもある。まずは「人気絶頂期の自殺」などと語られることへの違和感だ。たしかにトップクラスのアイドルではあったが、彼女と同年デビューでいちばん売れたのは菊池桃子だった。また、男性アイドルには吉川晃司がいて、彼女はレコ大最優秀新人賞についても「吉川くんのほうがふさわしい」などと語っていたものだ(菊池は辞退)。

 そして何より、自殺した年に芸能界を席巻していたのは結成2年目のおニャン子クラブだ。オリコンのシングルチャートでは52週のうち、36週をおニャン子関連作品が占めた。にもかかわらず、1月28日に発売された彼女の「くちびるNetwork」はその強敵を抑えて自身初の1位になっている。ただそれは、ファンにとっても意外な展開だった。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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「くちびるNetwork」でオリコン1位獲得