木野さんが最後に中居と会ったのは、10年ほど前だ。

「トシちゃん(田原俊彦)と都内でコンサートの打ち合わせをしていたの。トシちゃんに気をつかったのか、別室で打ち合わせしていた中居があいさつに来たんだ。思わず『おー中居!久しぶりだねー会いたかったよ!』って声をかけました。トシちゃんが『木野、(中居のことを)知ってるんだ』と言うので、中居も『前に振り付けしてもらってまして』って答えていました」

 この時ですでに数十年ぶりの再会。木野さんはある中居の“変化”から、時の流れを感じたようだ。

「彼がずっと敬語を使うんだよ。オレすごくショックだったんだよね(笑)。昔はタメ口だったのに。『木野くん、木野くん!ご飯食べに行こうよ』って。ジュニアの時は、ジャニーズの合宿所の1階にファーストキッチンがあって、つめかけるファンをかきわけて2人で食べたこともありました(笑)。彼も大人になったということなんでしょうね。彼は明るい性格で、よくそばにいてくれて可愛い後輩でした」

 懐かしみながら当時を振り返る木野さん。数年前のSMAPの解散はどうみていたのか。

「解散という形になったけど、僕はどのメンバーの選択も正しいと思います。事務所に残るのも、育ててくれた恩人についていくというのも、どちらの考えも筋が通っていて立派。僕と同時期にやっていた子たちには特別な思いがありますから、困っているときや世間から叩かれているようなことがあったら、いつでも援護射撃してあげたいなと。そういう思いです。そしてジャニーズへの感謝も強いので、今回の中居の退所は、事務所にとってもよいものであってほしい」

 最後に、中居にエールを送るとしたら、どんな言葉をかけたいのかを聞くと、照れくさそうにこう答えた。

「僕がアドバイスなんてとんでもないけど(笑)。中居らしくありつづけてほしいですね。タレントは、ファンからの『こうあってほしい』という思いに答えなきゃいけないけど、それで自分が苦しくなるようだったら、よくないと思う。自分の世界観を表現するのが芸能人であり、アイドルですから、自分がやりたいことを続けてほしい」

■木野正人
きの・まさと/1968年12月2日生まれ。静岡県藤枝市出身。1988年に萩本欽一が司会を務めるテレビ番組「鉄きらリン530!!」の企画で結成されたアイドルグループ「CHA-CHA」(前身は茶々隊)で2年活動。その後、パフォーマンスを磨くため90年にジャニーズ事務所を退所し、単身渡米した。93年に帰国し、現在は自身の地元・藤枝市でダンスパフォーマー兼振付師として活動。主に田原俊彦の振り付けを担当している。

(AERA dot.編集部/井上啓太)