「『独立したからって関係ないわ。ウチらつき合うで。任しときや』と言うてた人が独立した日から、ホンマ、オセロゲームでバタバタッと白が黒に変わるみたいにものの見事に裏返って、独立したその日からレギュラーが三本なくなりました」

 5ヶ月後にはテレビから消え、興行の仕事も激減。そもそも、独立をめぐって温度差のあったふたりは、コンビ仲も悪くなり、解散してしまう。その翌年、サブローだけが頭を下げ、というか土下座して、吉本に復帰するわけだ。

■シローが味わった「怖い思い

 この結果、シローはもっと「怖い思い」を味わうハメに。参院選に出て落選したり、ノイローゼ説が囁かれたり、水商売に手を出したりと迷走が続いていく。また、失踪が報じられたときには、サブローとマネージャーによる陰謀だと主張したりした。そして、元・相方に遅れること4年、ついに降参して、吉本に復帰するのだが――。

 シローに対し、会社は一段とシビアだった。本業をほとんどやらせず、本名の「伊東博」で構成作家をさせるなどした。その後、若手と組んで漫才もやったが、本人が切望していたサブローとのコンビ再結成は実現せず。09年に心臓疾患で倒れ、55歳で亡くなってしまった。

 一方、サブローは関西中心の活動とはいえ、復帰後はピン芸人として安定した地位を築いている。こうしたコンビにおける明暗の分かれ方は、横山やすし・西川きよしのそれを彷彿とさせるものだ。じつは皮肉にも、サブロー・シローはやすきよのものまねを持ちネタにしていた。きよしのキャラ立ちにもつながった「小さなことからコツコツと」を広めたのはシローだったりもする。

 そして、サブローはやすし亡きあと、きよしと組んで「新やすし・きよし」を名乗り、漫才をやったりもした。いわば、ニセモノのやっさんとして仕事につなげているのだ。

■島田紳助のスタンス
 
 そんな「サブロー・シローの乱」をめぐって、独自のスタンスと存在感を示したのが島田紳助だ。ふたりが独立した際「オレたちひょうきん族」に絡めて、こんなことを言っていた。

「スタッフ含めて『ひょうきん族』という家族なんや。ただ、サブロー・シローは吉本やめたんやから同じ楽屋から出てってもらいたい」

次のページ
ファミリー好きの吉本イズム