なぜなら、児童虐待が起きている家庭には、もれなく両親の間にDVがあるからだと私は考える。DVとは、必ずしも殴る蹴るなどの身体的な暴力だけを指すものではなく、逮捕された栗原勇一郎容疑者のように、「お前は無能だ。何もできないバカだ」といった暴言のほか、お金の使い方を管理したり、行動の監視、親族や友人との連絡を禁じて孤立させたりする行為も立派なDVだ。しかし、身体的暴力以外のDVは被害者自身も自覚しにくく、第三者にも発見しにくい。

 虐待者である父親が、家庭の中で絶対的な権力を誇示するために、または家族を支配するためにあらゆる暴力を使う(使ってもいいと思い込んでいる)というゆがんだ家族観は、それが配偶者に向かえばDV、子どもに向かえば児童虐待という言葉に変化する。問題の根本は加害者が持っているゆがんだ価値観にあり、DVも児童虐待も全く同じであると言える。

■父親に押し切られた教委と児相の問題点

 柏児童相相談所や学校は、父親の虐待を認識していた。しかし、一度は心愛ちゃんを一時保護したものの、父親の親族に預けることになった経緯や慎重な検討をせずに父親のもとに戻す決定をしたことについては大きな疑問がある。逮捕後数日経ったが、未だに父親は警察の取り調べに対し、「自分の行為はしつけだった」として反省の言葉は出ていないという。今後も捜査が進展するにしたがって、さらなる悲しい事実が出てくるだろうと思うと、胸が痛い。

 今回の事件は間違いなく、関係機関の連携不足にあったと思う。当事者である児童相談所をはじめ学校や教育委員会等の関係機関は責任のなすりあいをしたように見える。自分たちが心愛ちゃんを救わなければならないという意識よりも、“しつこくて威圧的でうるさい父親”の対応方法を間違えて、結果的に言いなりになってしまった。

 専門家や識者は児童相談所の人員不足を指摘し、関係機関の連携強化や情報共有、学校現場に弁護士や警察OBを配置する人員強化に賛同するコメントが多いが、果たして人員を増やしただけで、本当に問題は解決するのだろうか。

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日本の一時保護施設の惨状「子どもを番号で呼び、私語禁止。いじめも」