オウム元死刑囚たちの最後「異常に汗をかき、毎晩のように失禁していた」拘置所関係者が証言【平成事件史】
「新実元死刑囚は奥さんとの面会を毎日、心待ちにしていた。週末など、面会ができない時には落ち着きなく、少しの物音にもおびえる感じもあったが、奥さんと面会できると穏やかに過ごしていた」(大阪拘置所関係者)
そして同じく大阪拘置所に収容されていた井上元死刑囚は2018年3月に「死刑は重すぎる」として再審請求を行っていたが、進行協議中に死刑が執行された。
井上元死刑囚は1審では地下鉄サリン事件では連絡役で直接、関与していないこと、仮谷清志さん監禁殺人事件では、中心的な役割を果たしたが、実行犯ではないと無期懲役の判決が下った。ところが、二審・東京高裁では地下鉄サリン事件では「リムジン謀議」に参加し、調整役として中心的役割を果たした上、仮谷さん事件でも逮捕監禁致死罪にあたるとして、死刑を言い渡された。
「再審請求で弁護団がその当時、井上や他の実行犯が連絡を取り合った通話記録の開示を要求し、検察が出すと応じたのが2018年7月3日。しかし、その3日後に井上の死刑は執行されてしまい、結局、通話記録は開示されなかった。開示されていれば、井上の判決は無期懲役が正しいことが証明できた可能性があった」(弁護団関係者)
前出の大阪拘置所関係者は井上元死刑囚らの最後の日々をこう生々しく証言した。
「刑務官は皆、井上と新実は死刑執行が前提で移送されたとわかっていましたから、すごくピリピリしていました。井上は礼儀正しく、死刑執行が近いとは思えない様子でした。しかし、井上、新実とも日が経つにつれ、顔色は悪くなり、異常に汗をかくなど、精神的に不安定になっていた。しばらくすると、彼らのいる独房には臭気が漂いはじめた。2人とも毎晩のように失禁するようになり、ズボンや布団を頻繁に取替えるようになっていたのです。死刑の恐怖に怯えていたんだと思います。凶悪事件を起こしたとんでもない連中と思っていたが、2人とも普通の人間だったということでしょう。どうして道を間違えてしまったのか、残念でならない」
井上元死刑囚の両親はその意志を継ぎ、同年10月15日、死刑判決は重すぎるとして、東京高裁に再審請求を申し立てている。
(AERAdot.編集部取材班)