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アインシュタインとチェリートマト

連載「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」

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ニシム・オトマズキンdot.#教育
アインシュタイン氏(写真提供/ヘブライ大学)

アインシュタイン氏(写真提供/ヘブライ大学)

アインシュタイン氏(写真提供/ヘブライ大学)

アインシュタイン氏(写真提供/ヘブライ大学)

日本ではミニトマトと呼ばれることが多い「チェリートマト」(写真提供/ヘブライ大学)

日本ではミニトマトと呼ばれることが多い「チェリートマト」(写真提供/ヘブライ大学)

Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長

Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長

 私の勤める国立ヘブライ大学は1918(大正7)年に設立されました。イスラエルの建国が1948年ですから、国ができる30年前に世界中のユダヤ人の寄付によってつくられたのです。ところで、この二十年間は寄付以外に予期せぬ大きな収入源ができました。アインシュタインとミニトマトです。

【貴重なアインシュタイン氏の写真はこちら】

 偉大な科学者アルバート・アインシュタインは熱烈なヘブライ大の支援者でした。亡くなる前、彼は大学に多くの遺産をもたらしました。そのひとつが、「一般相対性理論」の手書きの草稿です。これは今でも大学に大切に保存されています。実は、もうひとつアインシュタインが大学に残してくれたものがあります。「著作権」です。彼の遺志で写真やイメージの権利はすべて大学に「寄贈」されたのです。ある会社が商業的に彼のイメージや写真を利用するときは大学に使用料を支払わなければなりません。金額はいえませんが、かなりの利益が毎年大学に入っています。

 もうひとつ予想もしなかった収入源があります。チェリートマトです。日本ではミニトマトと呼ばれることが多いですね。今や世界中のスーパーで売られています。実は、この小さなトマトはヘブライ大農学部で開発されたのです。1980年代、小さな野生のトマトと栽培されたトマトをかけあわせた実験を続けて、保存期間をより長くできるトマトを作りました。この開発で毎年数百万米ドルも収入をもたらしています。

 話をアインシュタインにもどします。彼はユダヤ人のなかで最も有名な人物の一人です。ドイツに生まれ、スイスにも住みましたが、ナチスによる迫害から逃れてアメリカに移り住みました。1922年、ノーベル物理学賞が授与されました。

 あまり知られていませんが、ノーベル賞を取った同じ年、改造社という出版社の招きで夫婦で日本を訪れています。妻のエルザを伴って神戸港に着いたのが11月17日。この後、6週間も日本に滞在しました。当時、西洋人にとって日本はエキゾチックな国で、そもそも来日する外国人は少ない時代でした。日本にくる船上で、彼はノーベル賞受賞のニュースを知ります。ところが、アメリカに戻ることなくそのまま日本に来ました。受賞後、初めて訪問した国が日本になったわけです。

 世界で最も有名な科学者の来日とあって、どこに行っても大歓迎。仙台市の東北大学での講演会ではドイツ語で4時間にもわたって話続けました。京都大学では話をする彼の目の前にまで学生が詰めかけるなど14か所の講堂で講演をしました。一方で、大阪、名古屋、奈良、広島、宮島、福岡などを訪れ、日光の日本旅館に宿泊して温泉を楽しんだと伝えられています。日本は当時のドイツとは違い、アインシュタインがユダヤ人であることを問題とせず、熱狂的に受け入れ、欧州のような反ユダヤは日本にはありませんでした。


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