由規、悔しさを成長に変えたヤクルトでの日々… 故郷・仙台で再び輝け【菊田康彦】 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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由規、悔しさを成長に変えたヤクルトでの日々… 故郷・仙台で再び輝け【菊田康彦】

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楽天に育成選手として入団した由規 (c)朝日新聞社

楽天に育成選手として入団した由規 (c)朝日新聞社

 今シーズン限りでヤクルトを戦力外となった由規(本名:佐藤由規)が、故郷の仙台を本拠地とする楽天で復活を目指す。育成選手としての契約で、背番号は123と発表された。

 3ケタの背番号での再出発。それは由規にとって初めてのことではない。ヤクルト時代は右肩の故障で丸4年も一軍マウンドから遠ざかり、一度は育成選手になりながらも支配下登録に返り咲き、2016年に1786日ぶりの勝利を挙げている。

 七転び八起き--。それが座右の銘だと、由規から聞いたことがある。

「何回倒れても起き上がるという気持ちは常にあった。それはケガをしたからじゃなくて、野球を始めてから、負けたら次に勝つためにどうしたらいいかを考えてきたし、どっちかっていったら嬉しいことよりも悔しいことで成長してきたと思ってるんで」

 高校生ドラフト1巡目で楽天、巨人など5球団競合の末、由規がヤクルトに入団したのは2008年。仙台育英高3年の夏には、甲子園大会史上最速(当時)の155キロを叩き出しており、鳴り物入りでのプロ入りだった。

 高卒1年目から一軍で2勝を挙げると、2年目には早くもオールスターに出場。3年目の2010年は自己最多の12勝をマークし、NPBの日本人投手としては史上最速(当時)の161キロを計測するなど、20歳の若者の野球人生は前途洋々に見えた。

 由規にとってプロ4年目の2011年、開幕を前に東日本大震災が発生。故郷の仙台も甚大な被害を受け「プレーで勇気を与えることができたら、それが一番」と、強い決意でシーズンに臨むことになる。オールスターに初めてファン投票で出場し、仙台が舞台となった第3戦では先発マウンドに上がった。

 ところが、この年の9月に「肩の張り」を訴えて離脱。これが長きにわたる故障との闘いの始まりとなる。そのままシーズンを終えると、翌2012年は一軍登板なし。「葛藤はあったんですけど、このままズルズルいって先が見えないよりかは、手術してみるのも1つの手なのかな」と、2013年4月には右肩関節唇、腱板の内視鏡クリーニング手術に踏み切る。 



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