気負う有働アナが胸に刻むべきタモリとマツコの愛のある言葉とは? (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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気負う有働アナが胸に刻むべきタモリとマツコの愛のある言葉とは?

連載「道理で笑える ラリー遠田」

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新天地『news zero』で硬さが目立つ有働アナ (c)朝日新聞社

新天地『news zero』で硬さが目立つ有働アナ (c)朝日新聞社

タモリとマツコの愛のある「いじり」 (c)朝日新聞社

タモリとマツコの愛のある「いじり」 (c)朝日新聞社

 40年以上もテレビの第一線を走り続けてきたタモリが「民放もNHKも同じ」と語っているのは説得力がある。この言葉は、民放で新たな勝負に挑む有働の心にも響いたのではないかと思う。なぜなら、ここまでの『news zero』『月曜から夜ふかし』に出ている有働の姿を見る限り、彼女はNHKと民放の違いを過度に意識するあまり、硬くなっているのではないかと思われるからだ。

 通常、テレビを見る人は自分がどのテレビ局の番組を見ているかをそれほど意識していない。単に自分が興味のある番組を選んで見ているだけだ。少なくとも、作る側が意識しているほどには、視聴者はテレビ局ごとの違いを意識していない。

 もちろん、NHKと民放には明らかなカラーの違いがある。それは民放同士の違いよりもはっきりしているというのは確かだろう。しかし、テレビはテレビである。視聴者は自分の意志で面白そうな番組を探しているだけであり、特定の局に深い思い入れを持っているような人はあまりいない。

 NHKという温室で長年育ってきた有働は、このことをまだ上手く飲み込めていない。今までやってきたNHK仕様の自分のキャラクターを捨てて、民放向けのキャラクターを新たに作り出そうとしているように感じられるのだ。だが、そもそも視聴者は有働にそんなことを求めていないし、たとえ彼女がそれをやろうとしても上手くできる見込みは薄いのではないか。

 対談でタモリが有働に語っていた話を一言でまとめると「自然体でいけばいい」ということになる。タモリは、肩の力を抜いてテレビに出続けることで、テレビを自分の居場所にしてしまった人間である。長年テレビタレントという仕事を続けている人には多かれ少なかれそういう部分があるのかもしれないが、中でもタモリは別格だ。

 あのビートたけしや明石家さんまですら「自分が芸人である」という自意識からは逃れられなかった。どんなに上の立場になっても、目の前の人を笑わせずにはいられないし、笑ってもらえなければ不安になる。だからこそ、彼らはいつでも自然体でいられるタモリをうらやむような発言をすることがあるのだ。

 タモリには芸人としての自意識すらなく、ただ淡々とテレビに出ること自体を楽しんでいる。有働がこれから目指すべき境地もそこにある。余計な気負いと不安をゼロにすれば、そのときに初めて彼女なりの『news zero』が始まるはずだ。(ラリー遠田)


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ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・ライター、お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)など著書多数。近著は『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)。http://owa-writer.com/

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