――どんな質問をされたんですか?



 ちょうど香取くんがニューヨークに撮影で行く前だったみたいで、どんな場所かを聞かれたんです。彼がアクセサリーをじゃらじゃらつけていたので、「そういう格好をしている知り合いがピストルを向けられて、根こそぎもっていかれちゃったよ。気を付けるんだよ」と冗談で言ったら、「どうしよう!」と大パニックになってしまったんです。慌てて彼を呼び戻して、「でも慎吾くん、マネージャーさんと行くんでしょう?」と話したら、「あっ、そうか!」と。他にも、彼が田原俊彦さんの曲を歌うことになった時に「音程が分からない」と悩んでいたことがありました。「元々その曲は音程がないんだよ」と冗談で言うと、「そうなんですね!」と信じてしまったんです。すごく純粋で、印象に残っていますね。

――まだ香取さんも10代ですもんね。HIROSHIさんにとっての転機はいつですか?

「タモリの音楽は世界だ」という番組で公演情報を流してくださったことがありました。100人規模のコンサート会場に500人の応募が来てしまって、慌てて公演日時を増やしたんです。その反響の大きさを見て「自分の芸風でやっていけるのかな?」と思えるようになりました。もちろん今だって不安はありますが、完全に安心な人なんていないでしょう。

――1999年から続けられている東京文化会館(東京都台東区)でのコンサート「UENOの森のHIROSHI」も、今年で20回目を迎えます。

 20回という数字はすごいんですけど、自分では「もう20回もやったの?」という気もしています。たとえば去年の公演は昨日のことのような気もするし、はるか昔のような気もする。ずっと続けてきて一つ言えることは、この大きな会場で震えなくなった。東京文化会館は日本では珍しいオペラハウス構造で5階まであって、お客さんも2300人くらい入る会場。昔から観客としてバレエやオペラを観ていたので、初めて立った時はブラックホールに吸い込まれるような感覚でした。「ここにいていいんだろうか?」という気持ちが強かった。ただ、毎年立つようになると、お客さんの表情も目に入るようになって、「次はあっちに歩いてみよう」とか思えるようになりました。
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高校時代の同級生も応援してくれている