――CD自体があまり売れなくなってしまった影響もありますか。



 CDもそうですが、CMでも斬新な音楽が減ったようにも思います。昔だと「燃焼系アミノ式」なんかがありましたが、最近はその傾向があまりないですよね。

 僕が中高生の頃は西城秀樹さんたち「新御三家」や山口百恵さんの「花の中三トリオ」なんかの勢いがすごくて、全国民がほぼ知っているヒット曲を生み出していました。極端な話、レコードを持っていない曲でもイントロからエンディングまで覚えているような時代。当時はテレビが一家に一台で、毎晩のように歌番組を家族みんなで見ていたんですね。でも今は、テレビやスマホが一人一台以上ある時代。世代ごとに好きな番組を見るようになったのかもしれないですね。

――音楽業界が大きく変わる中で、諦めそうになったことはなかったですか。

 20代の頃は好きなことをやっていれば適当にお金が入ってくると思っていました。30歳の時、当時6人いたSMAPと森口博子ちゃんがやっていた番組に出ていて、チャンスもいただいていました。ただ、そんなに有名ではないから、100人くらい入るホールを押さえて、ワープロでチラシを作って、と全て自分で動かすんですね。「これが一生続くのか」と不安になる時期はありましたね。

――SMAPと共演している時も不安でしたか?

 それはね、僕からすれば別世界の人ですから。当時「$10(テンダラーズ)」という曲が出た頃ですね(1993年)。収録が終わると、僕も含めて他の出演者が「お疲れ様でした」と帰っていくところ、彼らだけは「SMAPの皆さん、次の現場へ行ってください」と。でも、その頃はどういうわけか男性出演者の楽屋が大部屋ということがあったんです。僕はピアノの先生役として番組に出ていましたが、16歳くらいだった香取慎吾くんが「先生、質問があるんですけど!」と無邪気に話しかけてくれたことをすごく覚えていますよ。香取くんは忘れているかもしれませんが。
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香取慎吾の驚きの質問とは?