少し時間が経ってしまったが、5月26日、パリ北部の18区で、マリ出身の移民がある集合住宅のバルコニーから落ちそうになっていた幼児を、地上から4階までバルコニー伝いによじ登り、命懸けで救ったニュース。
「パリのスパイダーマン」として一躍ヒーローとなったのは、不法滞在していたマリ人、マモウドゥ・ガッサマさんだった。この行動を見れば、世界中の誰もが称えたくなる。フランスのマクロン大統領は、直ちにガッサマさんを大統領官邸「エリゼ宮」に招き、勇気を称える勲章を贈った。ガッサマさんには帰化市民権が与えられるということになった。
さらに、彼には消防士の職が与えられるという。この事件の際、ガッサマさんが子供を救出した後に消防車が到着したというから、まさにぴったりの仕事だと思う。粋な計らいだ。
私がこのニュースを見て感じたのは、「消防士」に対するイメージには、万国共通のものがあるのではないかということだ。
今回は、ガッサマさんの行動が、まさに消防士に代わるものだったから、マクロン大統領は、消防士の職を与えようという発想になったのだろうが、実は、その裏には、「消防士」に対する万国共通の思いがあることが前提になっているような気がする。それは、彼らに対する深い尊敬と憧れの気持ちだ。
アメリカの9.11テロ事件の時も、消防士は英雄だった。多くの消防士が命を落としたが、その活躍にアメリカ国民は感動し、いくつもの映画が作られ、多数の本も出版された。
「消防士」を語る時、共通するのは、「自らの命さえ犠牲にして」「他者のために奉仕する」精神への礼賛だろう。
そう考えながら、すぐに、今日本で問題となっている「官僚とは」という問いが私の頭に浮かんだ。
私は、「官僚とはどういう人たちなのか」と聞かれたとき、官僚を辞めた2011年ごろは、「役人になる時には皆青雲の志を持っているが、さまざまなしがらみで変わっていき、最後は国民のためでなく組織のために仕事をするようになる」と、官僚をワンパターンにくくって答えてきた。しかし、その後2年ほど客観的に彼らを観察していると、必ずしもそれは正しくなかったと気付いた。