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隻腕でノーヒッター…苦難を乗り越えた伝説の男たち

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杉山貴宏dot.

日米大学野球選手権第2戦でスコアラーを務めるアボット投手=1988年撮影 (c)朝日新聞社

日米大学野球選手権第2戦でスコアラーを務めるアボット投手=1988年撮影 (c)朝日新聞社

 実績あるベテランでもない限り、マイナー契約がニュースになることはメジャーリーグでもほぼないが、4月にロイヤルズがある選手と結んだマイナー契約は少々事情が異なっていた。25歳のタリク・エルアーバー外野手は、自閉症を抱えながらもメジャー球団と契約を結んだ初の選手だと報じられたからだ。

 エルアーバーは3歳で自閉症と診断され、言葉をしゃべるまでにはさらに3年を要したとのこと。だが彼はそうした状況にも負けず大学へ進学して野球をプレーし、卒業後は独立リーグのエンパイアリーグへ。そして1年目の2016年シーズンには打率.323をマークして新人王に輝いた。

 こうした活躍が、現役時代に通算300本塁打と300盗塁を達成するなどの活躍をし、現在はロイヤルズの特別アドバイザーを務めているレジー・サンダースの目に留まった。サンダースは自閉症を抱えた兄弟を持ち、自閉症のコミュニティーで活動しているのだ。

 エルアーバーが将来的にメジャーリーグまで昇格できるかどうかは分からない。だが過去には障害を克服してメジャーで活躍した選手たちも確かに存在している。

 もっとも有名な例は「隻腕の大投手」ジム・アボットだろう。先天性右手欠損のため右手首より先が生まれつきなかったアボットだが、学生時代から野球やアメリカンフットボールのQBとして抜群の運動神経を発揮。ミシガン大学時代の1988年にはドラフト1巡(全体8位)でエンゼルスから指名され、その年のソウル五輪では米国代表としてマウンドに上がり、決勝では古田敦也(後にヤクルト)、野村謙二郎(後に広島)らがいた日本代表を相手に好投して金メダル獲得に大きく貢献した。

 プロ入り後はマイナー経験なしにいきなり1989年の開幕から先発ローテーション入りしたアボット。12勝12敗としっかり結果を出し、1991年にはキャリアハイの18勝を挙げる。ヤンキース移籍後の93年にはノーヒットノーランも達成。通算で87勝108敗、防御率4.25という堂々たる成績を残した。

 こうした活躍を可能にしたのは、アボットの父親が考案したというグラブスイッチ。右手首の上に右利き用のグラブを乗せたまま投球した直後に左手にグラブをはめ、捕球後はグラブを右わきに抱えて外した後に左手で送球するという一連の動作だった。アボットはこうした工夫を考え、息子に障害の引け目を感じさせることなく育てた父を尊敬しているという。



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