コンバートによってワールドクラスへと変貌を遂げたアンドレア・ピルロ(写真・Getty images)
コンバートによってワールドクラスへと変貌を遂げたアンドレア・ピルロ(写真・Getty images)

 サッカーにおいて、選手のポジションというのはある程度の専門性を持ったものであり、大きな変更がされることは少ない。しかし、チーム事情によるものや、本人の適性を見抜く指揮官の目により、配置転換がキャリアを大きく切り開く契機となる選手というのは確かに存在する。

 世界屈指の“レジスタ”として名を馳せた元イタリア代表MFアンドレア・ピルロは、その一人だと言えるだろう。若き日のピルロはインテル(イタリア)でプレーし、トップ下のポジションから狭いエリアの中でテクニックを駆使してラストパスを供給するような選手だった。一方で、線の細さは否めず、屈強な守備陣が揃うイタリアサッカー界では簡単には輝けなかった。

 才能を評価されつつ、消えゆく危機にあったピルロに一筋の光明が差したのは、2001年にブレシア(イタリア)でカルロ・マッツォーネ監督の指揮下でプレーした際に、中盤の底でのプレーを経験したことだった。このシーズン、チームメートだった元イタリア代表FWロベルト・バッジョがユベントス(イタリア)戦で今でも語り草になるような鮮やかなゴールを決めるのだが、そこに正確なパスを供給したのがピルロだった。

 その後、ACミラン(イタリア)に移籍したピルロはトップ下の元ポルトガル代表MFマヌエル・ルイコスタとのポジション争いに巻き込まれたが、シーズン途中で就任したカルロ・アンチェロッティ監督にボランチでのプレーを直訴して認められると、そこから彼の“黄金時代”は始まった。ミランの黄金期を築き、イタリア代表としてもワールドカップ(W杯)を獲得。ユベントスでも多くのタイトルを勝ち取った。円熟味を見せるようになったころからは、“マエストロ”の称号を与えられるほどだった。

 また、アタッカー色の強いポジションから中盤のセンターに移ってキャリアを切り開いた選手では、元ドイツ代表の主将であるバスティアン・シュバインシュタイガーもそうだ。名門バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)で主に左サイドから切り込むサイドアタッカーとして活躍していたが、ルイス・ファンハール氏の監督時代にセンターハーフへとコンバートされた。

 後にドイツ代表でも不動のセンターハーフとなり、ヨアキム・レーブ監督からは「チームの頭脳」とまで称された。2014年ブラジルW杯も勝ち取ったチームの中央に君臨する男がサイドアタッカーのままだったら、果たしてこれほどの輝かしいキャリアを築くことができただろうか。

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コンバートがなければ…という選手も