「難治がん」の記者 なぜ今、加計でも日報でもなく「戦争はいけない」なのか (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」の記者 なぜ今、加計でも日報でもなく「戦争はいけない」なのか

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

街角で見かけた認め印のケース。一つ一つにそれぞれの人生がしのばれる

街角で見かけた認め印のケース。一つ一つにそれぞれの人生がしのばれる

人類はどこへ向かうのか。人類と類人猿の進化の流れ(秀文堂「カラー版改訂 生物図説」より。左)と集団的自衛権の行使が容認される前に出版された内外出版「日本の防衛法制 第2版」

人類はどこへ向かうのか。人類と類人猿の進化の流れ(秀文堂「カラー版改訂 生物図説」より。左)と集団的自衛権の行使が容認される前に出版された内外出版「日本の防衛法制 第2版」

 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。45歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「戦争はいけない」ということについて。

【街角で見かけた何気ない日常のスナップに人生を感じる】

*  *  *
 暗闇に浮かび上がるホテルを目指し、小走りで向かった。ツルツルに凍った路面が足もとでカッ、カッと音を立てた。

 2012年11月、モンゴルの首都ウランバートル。ホテルに着くと、北朝鮮との外務省局長級協議を終えた日本政府関係者が顔を上気させ、囲み取材に応じるところだった。

 協議で合意した一つが、北朝鮮の核開発とミサイル問題を議論することだ。

 この翌月、安倍政権が誕生。以来5年間、事態は進んでいない。

 がん治療では5年間、再発しなければ寛解したと一般的にみなされる。それだけ重い年月が流れたのだ。

  ◇
「巻き込まれるのが自分1人で済むならば、そんなふうに『消える』のもありかな」

 昨年5月。米国が原子力空母を朝鮮半島近海に差し向け、北朝鮮との軍事衝突が取りざたされたころ、そんな考えが私の頭をよぎった。階段に座っていた人が消えて影だけが残る。原爆投下の記録映像が脳裏にあった。

 もちろん「自分だけ」などとということはあり得ない。広島・長崎でも多くの人が苦しみ、命を落としている。にもかかわらず妄想したのは、私のがんが、根治も「共生」も望めないタイプで、なおかつ幸せに過ごしていたからだ。手術直後はしゃっくりが止まらず、30センチほどの傷いっぱいに激痛が走った。麻酔の効かない体に管をぎゅうぎゅう押し込まれた時の痛みも忘れがたい。今ならば病気や治療による痛みでひどく苦しむ前に、満ち足りたまま人生を終えられる。そう考えた。

 まだ長生きするつもりの人、子どもの成長を楽しみにしている人は、そんな妄想をすることはないだろう。しかし、一人の為政者の心一つで自分や大切な人が文字通り「消える」かも知れない。そんな穏やかな日常の陰に潜むリスクを、どれほどリアルに感じられているだろうか。


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