元SEALDs 諏訪原健「奨学金残酷物語 家庭崩壊した25歳の女性の苦悩」 (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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元SEALDs 諏訪原健「奨学金残酷物語 家庭崩壊した25歳の女性の苦悩」

連載「20代の処方箋」

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諏訪原健dot.#諏訪原健
諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

 彼女はアルバイトで生計を立てていくことになる。飲食店の仕事を2つ掛け持ちし、週5~6日は働く日々。朝は部活の練習に参加し、その後授業を受け、夜は深夜までアルバイト。生活していくのは大変だったが、「こんなことでやりたいことを諦めたくはない」と思いながら、どうにか乗り切っていた。

 振込が滞っていたのは、生活費だけではなかった。家賃も期日までに振り込まれることはなく、不動産会社に何度も謝りの連絡を入れた。「このままでは退去してもらう」と言われたこともあった。大学の授業料にしても同様で、大学の事務から何度も連絡が入った。母親にいくら言っても、状況は変わらない。挙げ句の果てに連絡がとれなくなることもあった。

 学生生活でいちばん苦しかったのは、就活の時期だという。東京で面接があることもあり、交通費だけでも出費がかさむ。しかもアルバイトもかつてのような頻度ではできない。食費すら捻出するのが難しい日々だった。だんだん就活の目標も、お金のない生活から逃れたいというものになっていく。そんなことばかり考えていると、面接もうまくいかない。焦りはつのる一方だった。

 その後、就職先は決まったものの、彼女の学生生活は、最後までお金の問題に振り回された。大学4年の時の学費は未払いで、大学の事務からは「卒業式の日の朝10時までに全額払ってもらえないと、卒業が認められません……」と言われた。しかし親からの振込はない。結局指導教員に相談して、立て替えてもらうことになった。どうにか卒業はできたが、卒業式には出られる精神状態ではなかった。

「こんなことになったのに、晴れやかな気持ちで卒業式に参加することなんてできませんでした。学部の友人にも知られたくなくて……」

 卒業式用の袴や着付けの予約もしていたが、すべて無駄になった。

 そのような状況に至った背景には、家庭の借金という問題があった。家庭の金銭管理は母親に一任されていた。父親にも家計の厳しさは伝えていたが、きちんと受け止められてはいなかった。父親は一度頭に血がのぼると手をつけられなくなってしまう人で、人格否定の言葉を投げかけることすらある。そんなこともあって、母親は家計のことを父親には話せなくなっていた。その結果、家計を成り立たせるために借金を繰り返していた。彼女の奨学金も、その借金の返済に消えていったのだった。

 大学卒業した年の10月からは奨学金の返済が始まった。


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