なぜ、こんなにも「できる人は京都が好き」なのか?
なぜ、こんなにも「できる人は京都が好き」なのか?

 歴史を遠く振り返れば、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、幕末のころなら、薩長の志士、新選組……。権力者や成功者などの「できる人」にとって、「京都」は特別の地だった。それは今も同じ。政治家、社長、芸能人、功なり名を遂げた人は、「京都」に夢中になるというのはよく聞く話だ。

 なぜ、こんなにも「できる人は京都が好き」なのか?生粋の京都人であり、歯科医師、かつ作家で、『できる人の「京都」術』の著書でもある柏井壽氏にたずねた。

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 文化や歴史が宝石箱のようにぎっしり詰まっているのが京都です。それを理解しているからこそ、できる人は京都が好きで、その宝石箱を覗きにしばしば京都を訪れるのではないでしょうか。

 宝石箱の中には高貴なものもあれば、神秘に満ちたものもあります。輝くほどに美しいものがたくさんある一方で、哀しみを湛えたものもけっして少なくありません。それらのひとつひとつが、できる人の知的好奇心をそそるのでしょう。

「なぜ今も輝き続けているのか」
「それとは対照的に、色あせてしまったものはどんな歴史的経過をたどったのか」

 宝石箱を一度や二度覗いたくらいでは、その答えは見いだせません。繰り返し訪れ、違った角度から見てみることで、ようやく少しは理解できるようになります。

 できる人は、京都のこの高い難問に挑むことを愉しんでいるのだと思います。

 一方で、おおむね「できる人」は多忙を極めています。日々の仕事に追われ、疲労とストレスを蓄積している。そんな日常とかけ離れ、非日常の時間を過ごすことで癒しのひとときを得るに、京都ほど適した地はほかにないのではないでしょうか。

 オモチャ箱をひっくり返し、無心になってたわむれたころに戻る。時計の針を逆に回し、懐かしさを思いきり胸に吸い込むことで癒される。もしくは仏像、庭園鑑賞、禅体験などによって、無心、無我の境地を得ることなども、癒しの典型例です。

 そうしたひとときで得たものを、ビジネスの武器として応用することも多いと聞きます。できる人はしばし癒されてのち、また日常の場に戻って戦う力が京都で得られることを知っているのではないでしょうか。